書記官長在任中
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1938年4月2日、貴族院議員に勅選された田口弼一の後をうけ、第10代の衆議院書記官長に任ぜられ、戦時下の議会において衆議院の事務方の長としてその任に当たる。1940年、斎藤隆夫が反軍演説を行った際には、当時の小山松寿議長が速記録から演説の大量削除を行うのを食い止めようとするものの、果たせなかった。後に、この小山議長の判断は、「妄断」であり、「私はこの時職を賭して戦うべきであった」と語っている。また、同年、大政翼賛会が発足した際には、その事務局参与という役割が割り当てられたが、帝国議会の番頭役という立場上、これを辞退し、のちに公職追放の対象となることを免れた。1945年5月には書記官長官舎が焼夷弾の直撃を受け焼失したため、2か月間議事堂内で生活することを余儀なくされる。 戦争終結後の同年8月、陸軍から戦時中における衆議院の秘密会速記録を全部焼却するよう求められたが、これを峻拒し、後々まで秘密会速記録は引き継がれた。
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