書記官長柳田国男との確執とは? わかりやすく解説

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書記官長柳田国男との確執

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)

徳川家達」の記事における「書記官長柳田国男との確執」の解説

貴族院書記官長議長補佐として、また議会事務局トップとして重責を担う役職である。1914年大正3年)から1919年大正8年)にかけてその職位にあった柳田国男家達の間に重大な確執生じて政治問題化した。貴族院書記官河井弥八日記によれば少なくとも1918年大正7年5月段階では両者の間に確執生じていたようで、この時、同書記官宮田光雄転出問題めぐって家達人事権を持つ書記官長柳田相談しなかったという。 同年7月家達長男の家正が書記官として勤務している北京公使館訪問しその後中国視察も行うことを考え河井にその計画作成命じ河井は関係各所回って準備整えたが、家達の妻の泰子病気患ったため延期となった柳田河井随行命じるつもりだったが、家達訪中延期になったので貴族院事務局官制則り河井だけ中国への出張命じた。しかし家達がそれに承諾与えなかったため、河井出張中止となった柳田家達公務ではなく自己都合書記官出張振り回した思い議長態度ヲ快シトセス」と不快感あらわにしている。 その後両者の関係はさらに悪化していったと見られ1919年大正8年4月16日家達首相原敬に対して柳田更迭の話を相談している。勅任高等官である貴族院書記官長実質的な人事権貴族院議長ではなく内閣にあったためだが、議長との不仲理由書記官更迭するというのは世間からは恣意的な人事に映るので原は慎重だったこの後柳田議会閉会利用して九州旅行をしているが、その間5月10日衆議院火災聞いて大分県より急遽帰京。この時に柳田旅行ですぐに駆け付けなかったことが家達心証悪くしたという説もあるが、河井日記からはそうしたことは見いだせない。 家達近しい法制官僚岡野敬次郎宮内大臣波多野敬直柳田宮内省図書頭異動させることを依頼するようになり(波多野難色示している)、家達柳田不和の話を聞いた倉富勇三郎柳田に話を聞いたところ、柳田家達との不仲岡野自分転任させよう画策していることを認め自分にも辞職決意はあるが、しばらくは辞表出さず家達困惑させる告げた一方家達再度自身訪中計画作成河井指示しこの際河井柳田面会し将来進退」を聴取したが、柳田家達が「偏狭我儘ニシテ自ラ公明ヲ装フモ窃ニ陰険手段を弄ス」点が我慢ならず、近日中にも辞職し従来ノ情弊ヲ一掃セム一切公表」するつもりだと述べた家達河井自身訪中同伴命じたが、柳田河井出張命令を出すことを拒否してきたので、家達河井通じて柳田真意を探るよう指示した柳田河井出張認めれば書記官少数になるので業務支障が出ると答えているが、それは表向き理由前述したように柳田家達議長付き書記官私的目的のため働かせることを嫌っていた。家達側はこの柳田執拗な嫌がらせ」に困惑しきりであった10月10日中国旅行暇乞いのため首相の原のもとを訪れた家達改めて「貴族院書記官長には甚だ困却すとて彼の反抗的行為物語り当の配慮を望む」と要求した内閣としても議会運営支障が出るのは困るため柳田問題重い腰を上げるしかなくなった家達10月14日中国向けて出国し15日倉富が再び柳田会見したが、家達中国訪問間中辞職することなく居座る答えている。 12月になると新聞にも柳田辞職するという報道出回るようになり、研究会所属貴族院議員水野直子爵が原首相に対して家達柳田問題質問し、原は柳田辞職落着する見込みであると答弁している。そして実際に12月21日柳田辞職した代わりに河井書記官長となった河井以降貴族院書記官長人事書記官からの昇格のみとなった事実上内閣により決定されてきた貴族院書記官長人事柳田事件契機として議長意向強く反映されるようになったといわれる

※この「書記官長柳田国男との確執」の解説は、「徳川家達」の解説の一部です。
「書記官長柳田国男との確執」を含む「徳川家達」の記事については、「徳川家達」の概要を参照ください。

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