書記局構成員
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書記局構成員(1917年 - 1991年)日付事項1917年8月6日 フェリックス・ジェルジンスキー、マトヴェイ・ムラーノフ、ヤーコフ・スヴェルドロフが書記に選出。アドリフ・ヨッフェ、エレーナ・スタソワが書記候補に選出。 1919年3月16日 スヴェルドロフ死去 1919年3月25日 スタソワが中央委員会により主任書記に選出 1919年11月29日 ニコライ・クレスチンスキーが選出され、主任書記に。 1920年4月5日 クレスチンスキー、エフゲニー・プレオブラジェンスキー、レオニード・セレブリャコフが選出 1921年3月16日 ワシーリー・ミハイロフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、エメリヤン・ヤロスラフスキーが選出 1922年4月3日 クイビシェフ、モロトフが選出。ヨシフ・スターリンが書記長として選出 1923年4月26日 モロトフ、ヤン・ルズターク、スターリンが選出 1924年2月 ルズタークがアンドレイ・アンドレーエフと交代 1924年6月2日 アンドレーエフ、ゼレンスキー、ラーザリ・カガノーヴィチ、モロトフ、スターリンが選出 1924年8月 ゼレンスキーがウグラーノフと交代 1925年4月30日 カガノーヴィチがアンドレイ・ブブノフと交代 1926年1月1日 エヴドキモフ、コシオール、モロトフ、スターリン、ウグラーノフが書記に選出。アルトゥヒナ、ブブノフが書記候補。 1926年4月9日 エヴドキモフがシュヴェルニクと交代 1927年4月16日 シュヴェルニクがクビャークと交代 1927年12月19日 コシオール、クビャーク、モロトフ、スターリン、ウグラーノフが書記に選出。アルトゥヒナ、ブブノフ、モスクヴィンが書記候補に選出 1928年4月11日 クビャークがスミルノフと交代。バウマンが書記候補に選出。 1928年7月12日 コシオールがカガノーヴィチと交代 1929年4月30日 ウグラーノフがバウマンと交代 1930年7月13日 バウマン、カガノーヴィチ、モロトフ、ポストィシェフ、スターリンが書記に選出。モスクヴィン、シュヴェルニクが書記候補に選出。 1930年12月21日 モロトフ解任 1932年10月2日 バウマン、モスクヴィンを解任 1934年2月10日 アンドレイ・ジダーノフ、カガノーヴィチ、セルゲイ・キーロフ、スターリンが書記に選出 1934年12月1日 キーロフ暗殺 1935年2月 ニコライ・エジョフ、アンドレーエフが書記に選出 1939年3月22日 アンドレーエフ、ジダーノフ、ゲオルギー・マレンコフ、スターリンが書記に選出 1941年5月4日 アレクサンドル・シチェルバコフが選出。 1945年5月10日 シチェルバコフ死去 1946年3月18日 ジダーノフ、クズネツォフ、マレンコフ、ポポフ、スターリン 1946年5月6日 マレンコフがパトリチェフと交代 1947年5月24日 パトリチェフがミハイル・スースロフと交代 1948年7月1日 マレンコフ、パンテレイモン・ポノマレンコが選出 1948年8月31日 ジダーノフ死去 1949年1月28日 クズネツォフ解任 1949年12月16日 ポポフがニキータ・フルシチョフと交代 1952年10月16日 アリストフ、レオニード・ブレジネフ、イグナトフ、マレンコフ、ニコライ・ミハイロフ、ペゴフ、ポノマレンコ、スターリン、スースロフ、フルシチョフが書記に選出。この頃には、もはや「書記長」の肩書きは使われなかったが、事実上スターリンが指導者のままであった。 1953年3月5日 スターリン死去 1953年3月5日 ブレジネフ、イグナトフ、ペゴフ、ポノマレンコが、イグナチェフ、ポスペロフ、シャターリンと交代。注: マレンコフは首相を兼務していたために、事実上の筆頭書記となった。 1953年3月14日 マレンコフ解任 1953年3月14日 イグナチェフ、ポスペロフ、スースロフ、フルシチョフ、シャターリンが選出 1953年4月5日 イグナチェフ解任 1953年9月7日 フルシチョフが中央委員会により第一書記に選出。 1955年3月8日 シャターリン解任 1955年7月12日 アリストフ、ベリャーエフ、ドミトリー・シェピーロフが選出 1956年2月27日 アリストフ、ベリャーエフ、ブレジネフ、ポスペロフ、スースロフ、フルツェワ、フルシチョフ、シェピーロフが選出 1956年12月24日 シェピーロフ解任 1957年2月14日 シェピーロフが再選出 1957年6月18日 中央委員会幹部会がフルシチョフ第一書記の解任決議(賛成7票、反対4票)、しかしフルシチョフにより中央委員会総会が開催され、中央委員の大部分がフルシチョフを支持し、事態は逆転(反党グループ事件) 1957年6月29日 シェピーロフがオットー・クーシネンと交代 1957年12月17日 イグナトフ、キリチェンコ、ムヒトディノフが選出 1958年11月12日 ベリャーエフ解任 1960年5月4日 アリストフ、イグナトフ、キリチェンコ、ポスペロフ、フルツェヴァが解任; コズロフが選出 1960年7月16日 ブレジネフ解任 1961年10月31日 デミチェフ、イリーチェフ、コズロフ、クーシネン、ボリス・ポノマリョフ、スピリドノフ、スースロフ、フルシチョフ、シェレーピン 1962年4月23日 スピリドノフ解任 1962年11月23日 アンドロポフ、ポリャーコフ、ルダコフ、チトフが選出。 1963年6月21日 ブレジネフ、ニコライ・ポドゴルヌイが選出 1964年5月17日 クーシネン死去 1964年10月14日 フルシチョフ解任。中央委員会総会でブレジネフが第一書記に選出。 1964年11月16日 コズロフ、ポリャコフ解任 1965年3月26日 イリーチェフがウスチノフと交代 1965年9月29日 チトフがクラコフと交代 1965年12月6日 ポドゴルヌイがカピトノフと交代 1966年4月8日 アンドロポフ、ブレジネフ、デミチェフ、カピトノフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、ルダコフ、スースロフ、ウスチノフ、シェレーピンが選出。; ブレジネフの肩書きが 第一書記 から 書記長 に変更 1966年7月10日 ルダコフ死去 1966年12月13日 ソロメンツェフが選出 1967年6月21日 アンドロポフ解任 1967年9月26日 シェレーピン解任 1968年4月10日 カツシェフ選出 1971年4月9日 ブレジネフ、デミチェフ、カピトノフ、カツシェフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、ソロメンツェフ、スースロフ、ウスチノフ 1971年11月23日 ソロメンツェフが転出 1972年12月18日 ドルギフが選出 1974年12月16日 デミチェフが文化相就任にともない、中央委員会総会で解任 1976年3月5日 ブレジネフ、ドルギフ、ジミャーニン、カピトノフ、カツシェフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、スースロフ、ウスチノフ、コンスタンチン・チェルネンコが中央委員会総会で選出 1976年10月 ウスチノフがリャボフと交代 1977年5月24日 カツシェフがルサコフと交代 1978年7月17日 クラコフ死去 1978年11月27日 ミハイル・ゴルバチョフ選出 1979年4月17日 リャボフ転出 1981年3月3日 ブレジネフ、ゴルバチョフ、ドルギフ、ジミャーニン、カピトノフ、キリレンコ、ポノマリョフ、ルサコフ、スースロフ、チェルネンコ 1982年1月25日 スースロフ死去 1982年5月24日 ユーリー・アンドロポフ選出 1982年11月10日 ブレジネフ死去 1982年11月12日 中央委員会緊急総会でアンドロポフが書記長に選出 1982年11月22日 キリレンコがルイシコフと交代 1983年6月15日 ロマノフが選出 1983年12月26日 リガチョフが選出 1984年2月9日 アンドロポフ死去 1984年2月13日 中央委員会緊急総会でチェルネンコが書記長に選出 1985年3月10日 チェルネンコ死去 1985年3月11日 中央委員会緊急総会でゴルバチョフが書記長に選出 1985年4月23日 ニコノフ選出 1985年7月1日 ロマノフ解任。ボリス・エリツィンとレフ・ザイコフが選出される 1985年10月15日 ルイシコフが首相就任のため転出 1986年2月18日 エリツィンとルサコフが転出 1986年3月6日 ビリュコワ、ゴルバチョフ、アナトリー・ドブルイニン、ドルギフ、ザイコフ、ジミャーギン、エゴール・リガチョフ、メドヴェージェフ、ニコノフ、ラズモフスキー、ヤコヴレフ 1987年1月28日 ジミャーニン解任、 ルキヤノフ、スリュニコフ選出 1988年2月18日 バクラーノフ選出 1988年9月30日 ビリュコワ、ドブルイニン、ドルギフ、ルキヤノフ解任 、チェブリコフ選出 1989年9月20日 ニコノフ、チェブリコフ解任、 ギレンコ、Manayenkov、ストローエフ、ウスマノフ選出 1989年12月9日 フロロフ選出 1990年7月10日 第28回党大会において、ゴルバチョフ書記長制を廃止し党議長・副議長職を創設構想するも断念。ゴルバチョフ、書記長に再選、 イワシコを副書記長に選出 1990年7月14日 バクラーノフ、ギダスポフ、ギレンコ、ザソホフ、クプツォフ、Manayenkov、セミョーノワ、ストローエフ、ファーリン、シェーニン、ゲンナジー・ヤナーエフ、アニスキン、Gayvoronsky、メルニコフ、Teplenichev、Turgunova 選出 1991年1月31日 ヤナーエフ、副大統領に転出 ルチンスキー選出 1991年4月25日 ゴルバチョフ、書記長辞任を提案するも、党中央委員会、党統制委員会の合同総会によって拒否される バクラーノフ、国防会議第一副議長に転出 1991年7月26日 カラシニコフ、メルニコフ、マルツェフ選出 1991年8月24日 ソ連8月クーデターの失敗の後、ゴルバチョフが書記長を辞任し、エリツィンがソ連共産党の活動を禁止。
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