書記局構成員とは? わかりやすく解説

書記局構成員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:12 UTC 版)

ソ連共産党書記局」の記事における「書記局構成員」の解説

書記局構成員(1917年 - 1991年日付事項1917年8月6日 フェリックス・ジェルジンスキー、マトヴェイ・ムラーノフ、ヤーコフ・スヴェルドロフ書記選出アドリフ・ヨッフェ、エレーナ・スタソワが書記候補選出1919年3月16日 スヴェルドロフ死去 1919年3月25日 スタソワが中央委員会により主任書記選出 1919年11月29日 ニコライ・クレスチンスキー選出され主任書記に。 1920年4月5日 クレスチンスキー、エフゲニー・プレオブラジェンスキー、レオニード・セレブリャコフが選出 1921年3月16日 ワシーリー・ミハイロフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、エメリヤン・ヤロスラフスキーが選出 1922年4月3日 クイビシェフモロトフ選出ヨシフ・スターリン書記長として選出 1923年4月26日 モロトフヤン・ルズタークスターリン選出 1924年2月 ルズタークがアンドレイ・アンドレーエフ交代 1924年6月2日 アンドレーエフゼレンスキーラーザリ・カガノーヴィチモロトフスターリン選出 1924年8月 ゼレンスキーがウグラーノフと交代 1925年4月30日 カガノーヴィチがアンドレイ・ブブノフと交代 1926年1月1日 エヴドキモフ、コシオール、モロトフスターリン、ウグラーノフが書記選出。アルトゥヒナ、ブブノフが書記候補1926年4月9日 エヴドキモフがシュヴェルニクと交代 1927年4月16日 シュヴェルニクがクビャークと交代 1927年12月19日 コシオール、クビャーク、モロトフスターリン、ウグラーノフが書記選出。アルトゥヒナ、ブブノフ、モスクヴィン書記候補選出 1928年4月11日 クビャークがスミルノフ交代バウマン書記候補選出1928年7月12日 コシオールがカガノーヴィチ交代 1929年4月30日 ウグラーノフがバウマン交代 1930年7月13日 バウマンカガノーヴィチモロトフ、ポストィシェフ、スターリン書記選出モスクヴィン、シュヴェルニクが書記候補選出1930年12月21日 モロトフ解任 1932年10月2日 バウマンモスクヴィン解任 1934年2月10日 アンドレイ・ジダーノフカガノーヴィチセルゲイ・キーロフスターリン書記選出 1934年12月1日 キーロフ暗殺 1935年2月 ニコライ・エジョフアンドレーエフ書記選出 1939年3月22日 アンドレーエフジダーノフゲオルギー・マレンコフスターリン書記選出 1941年5月4日 アレクサンドル・シチェルバコフが選出1945年5月10日 シチェルバコフ死去 1946年3月18日 ジダーノフクズネツォフマレンコフポポフスターリン 1946年5月6日 マレンコフがパトリチェフと交代 1947年5月24日 パトリチェフがミハイル・スースロフ交代 1948年7月1日 マレンコフパンテレイモン・ポノマレンコ選出 1948年8月31日 ジダーノフ死去 1949年1月28日 クズネツォフ解任 1949年12月16日 ポポフニキータ・フルシチョフ交代 1952年10月16日 アリストフ、レオニード・ブレジネフ、イグナトフ、マレンコフニコライ・ミハイロフ、ペゴフ、ポノマレンコ、スターリンスースロフフルシチョフ書記選出この頃には、もはや「書記長」の肩書き使われなかったが、事実上スターリン指導者のままであった1953年3月5日 スターリン死去 1953年3月5日 ブレジネフ、イグナトフ、ペゴフ、ポノマレンコが、イグナチェフ、ポスペロフ、シャターリンと交代。注: マレンコフ首相兼務していたために、事実上筆頭書記となった1953年3月14日 マレンコフ解任 1953年3月14日 イグナチェフ、ポスペロフ、スースロフフルシチョフ、シャターリンが選出 1953年4月5日 イグナチェフ解任 1953年9月7日 フルシチョフ中央委員会により第一書記選出1955年3月8日 シャターリン解任 1955年7月12日 アリストフ、ベリャーエフドミトリー・シェピーロフ選出 1956年2月27日 アリストフ、ベリャーエフブレジネフ、ポスペロフ、スースロフ、フルツェワ、フルシチョフシェピーロフ選出 1956年12月24日 シェピーロフ解任 1957年2月14日 シェピーロフ再選1957年6月18日 中央委員会幹部会フルシチョフ第一書記解任決議賛成7票、反対4票)、しかしフルシチョフにより中央委員会総会開催され中央委員大部分フルシチョフ支持し事態逆転反党グループ事件1957年6月29日 シェピーロフオットー・クーシネン交代 1957年12月17日 イグナトフ、キリチェンコ、ムヒトディノフが選出 1958年11月12日 ベリャーエフ解任 1960年5月4日 アリストフ、イグナトフ、キリチェンコ、ポスペロフ、フルツェヴァが解任; コズロフ選出 1960年7月16日 ブレジネフ解任 1961年10月31日 デミチェフ、イリーチェフ、コズロフクーシネンボリス・ポノマリョフ、スピリドノフ、スースロフフルシチョフ、シェレーピン 1962年4月23日 スピリドノフ解任 1962年11月23日 アンドロポフ、ポリャーコフ、ルダコフ、チトフ選出1963年6月21日 ブレジネフニコライ・ポドゴルヌイ選出 1964年5月17日 クーシネン死去 1964年10月14日 フルシチョフ解任中央委員会総会ブレジネフ第一書記選出1964年11月16日 コズロフ、ポリャコフ解任 1965年3月26日 イリーチェフがウスチノフ交代 1965年9月29日 チトフクラコフ交代 1965年12月6日 ポドゴルヌイがカピトノフと交代 1966年4月8日 アンドロポフブレジネフ、デミチェフ、カピトノフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、ルダコフ、スースロフウスチノフ、シェレーピンが選出。; ブレジネフ肩書き第一書記 から 書記長変更 1966年7月10日 ルダコフ死去 1966年12月13日 ソロメンツェフが選出 1967年6月21日 アンドロポフ解任 1967年9月26日 シェレーピン解任 1968年4月10日 カツシェフ選出 1971年4月9日 ブレジネフ、デミチェフ、カピトノフ、カツシェフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、ソロメンツェフ、スースロフウスチノフ 1971年11月23日 ソロメンツェフが転出 1972年12月18日 ドルギフが選出 1974年12月16日 デミチェフが文化就任にともない中央委員会総会解任 1976年3月5日 ブレジネフ、ドルギフ、ジミャーニン、カピトノフ、カツシェフ、キリレンコ、クラコフ、ポノマリョフ、スースロフウスチノフコンスタンチン・チェルネンコ中央委員会総会選出 1976年10月 ウスチノフがリャボフと交代 1977年5月24日 カツシェフがルサコフと交代 1978年7月17日 クラコフ死去 1978年11月27日 ミハイル・ゴルバチョフ選出 1979年4月17日 リャボフ転出 1981年3月3日 ブレジネフゴルバチョフ、ドルギフ、ジミャーニン、カピトノフ、キリレンコ、ポノマリョフ、ルサコフ、スースロフチェルネンコ 1982年1月25日 スースロフ死去 1982年5月24日 ユーリー・アンドロポフ選出 1982年11月10日 ブレジネフ死去 1982年11月12日 中央委員会緊急総会アンドロポフ書記長選出 1982年11月22日 キリレンコがルイシコフ交代 1983年6月15日 ロマノフ選出 1983年12月26日 リガチョフが選出 1984年2月9日 アンドロポフ死去 1984年2月13日 中央委員会緊急総会チェルネンコ書記長選出 1985年3月10日 チェルネンコ死去 1985年3月11日 中央委員会緊急総会ゴルバチョフ書記長選出 1985年4月23日 ニコノフ選出 1985年7月1日 ロマノフ解任ボリス・エリツィンレフ・ザイコフ選出される 1985年10月15日 ルイシコフ首相就任のため転出 1986年2月18日 エリツィンとルサコフが転出 1986年3月6日 ビリュコワ、ゴルバチョフアナトリー・ドブルイニン、ドルギフ、ザイコフ、ジミャーギン、エゴール・リガチョフメドヴェージェフ、ニコノフ、ラズモフスキーヤコヴレフ 1987年1月28日 ジミャーニン解任ルキヤノフ、スリュニコフ選出 1988年2月18日 バクラーノフ選出 1988年9月30日 ビリュコワ、ドブルイニン、ドルギフ、ルキヤノフ解任 、チェブリコフ選出 1989年9月20日 ニコノフ、チェブリコフ解任、 ギレンコ、Manayenkov、ストローエフ、ウスマノフ選出 1989年12月9日 フロロフ選出 1990年7月10日 第28回党大会において、ゴルバチョフ書記長制を廃止し党議長・副議長職を創設構想するも断念ゴルバチョフ書記長再選、 イワシコを副書記長に選出 1990年7月14日 バクラーノフ、ギダスポフ、ギレンコ、ザソホフ、クプツォフ、Manayenkov、セミョーノワ、ストローエフ、ファーリン、シェーニン、ゲンナジー・ヤナーエフ、アニスキン、Gayvoronsky、メルニコフ、Teplenichev、Turgunova 選出 1991年1月31日 ヤナーエフ副大統領転出 ルチンスキー選出 1991年4月25日 ゴルバチョフ書記長辞任提案するも、党中央委員会、党統制委員会合同総会によって拒否される バクラーノフ、国防会議第一副議長転出 1991年7月26日 カラシニコフ、メルニコフ、マルツェフ選出 1991年8月24日 ソ連8月クーデター失敗の後、ゴルバチョフ書記長辞任しエリツィンソ連共産党活動禁止

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