書記官長就任までとは? わかりやすく解説

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書記官長就任まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 13:56 UTC 版)

大木操」の記事における「書記官長就任まで」の解説

東京生まれ東京府立第四中学校旧制第一高等学校経て東京帝国大学法科大学独法卒業高等文官試験行政科に合格し1918年4月5日会計検査院採用され会計検査院書記に任ぜられる。1919年6月28日、副検査官に任ぜられ、海軍省担当として検査事務に当たる。検査先では、当時財部彪佐世保鎮守府司令長官水上飛行機乗せられたり、鈴木貫太郎佐世保工廠長と盃を交わしながら「海軍魂」の説教受けたりした。 1923年2月8日兼ねて会計検査院書記官に任ぜられる。かねてから衆議院事務局への転任志していたが、同年8月第7代衆議院書記官長である寺田栄貴族院議員勅選され、中村藤兵衛書記官書記官長に任ぜられたことに伴い衆議院書記官ポスト空席ができたことを知り会計検査院先輩である中村書記官長に自らの転任方を懇請した中村書記官長尽力もあり、その直後9月12日関東大震災対策のために人手が必要として衆議院書記官に任ぜられ、念願衆議院事務局転じる(衆議院書記官兼副検査官)。同年12月臨時議会第47回帝国議会)では、山本権兵衛首相の下で提出され帝都復興予算対す野党政友会大幅修正案を、会計検査院経験生かしながら仕上げている。 1925年9月12日兼ねて営繕管財局書記官に任ぜられる。1932年2月2日、副検査官及び営繕管財局書記官兼官を免ぜられる。 1932年ドイツ国制度調査研究のためベルリン滞在中、総選挙大勝したナチスゲーリング議長務めドイツ議会において、ヒンデンブルク大統領からの議会解散命令無視してパーペン内閣対す不信任案採決が行われた本会議(9月12日)を傍聴している。 1932年12月21日兼ねて行政裁判所評定官に任ぜられる。1934年4月13日勅任官をもって待遇せられる1936年二・二六事件の際には、総選挙直後正副議長選任されておらず、また、書記官長不在の中、首席書記官として仮議事堂現れ反乱軍将校応対に当たる。議事堂借用求められたが、これに対して議事堂借用のようなことは議会閉会であっても各党の了承を得なければならない慣例であり、殊に総選挙直後正副議長が未選任のときであって尚更である旨を説明して将校引き上げさせている。

※この「書記官長就任まで」の解説は、「大木操」の解説の一部です。
「書記官長就任まで」を含む「大木操」の記事については、「大木操」の概要を参照ください。

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