パーペン内閣
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前列左から農業食糧相マグヌス・フォン・ブラウン、内相ヴィルヘルム・フライヘル・フォン・ガイル、首相フォン・パーペン、外相フォン・ノイラート。
後列左から法相ギュルトナー、経済相ヘルマン・ヴァルムボルト、国防相フォン・シュライヒャー。
ここにはいないが他に蔵相フォン・クロージクと運輸郵政相フォン・エルツ=リューベナッハがいる。
パーペン内閣(パーペンないかく、ドイツ語: Kabinett Papen)は、ヴァイマル時代のドイツ国の第19代内閣であり、3番目の大統領内閣。1932年6月1日から12月3日まで存続した。
閣僚
出典[1]
役職 | 画像 | 大臣 | 所属 | |
---|---|---|---|---|
首相 |
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フランツ・フォン・パーペン | 無所属 | |
外務大臣 |
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コンスタンティン・フォン・ノイラート (1932年6月2日 -) |
無所属 | |
内務大臣 |
|
ヴィルヘルム・フライヘル・フォン・ガイル | ドイツ国家人民党 | |
財務大臣 |
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ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク (1932年6月2日 -) |
無所属 | |
経済大臣 |
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ヘルマン・ヴァルムボルト | 無所属 | |
労働大臣 | ヘルマン・ヴァルムボルト (事務取扱) |
|||
フーゴ・シェーファー (1932年6月6日 -) |
無所属 | |||
法務大臣 |
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フランツ・ギュルトナー (1932年6月2日 -) |
ドイツ国家人民党 | |
国防大臣 |
![]() |
クルト・フォン・シュライヒャー | 無所属 | |
運輸大臣兼郵政大臣 |
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パウル・フォン・エルツ=リューベナッハ | 無所属 | |
食糧・農業大臣 |
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マグヌス・フォン・ブラウン | ドイツ国家人民党 | |
無任所大臣 |
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フランツ・ブラハト (1932年10月29日 -) |
無所属 | |
無任所大臣 |
![]() |
ヨハネス・ポーピッツ (1932年10月29日 -) |
無所属 |
脚注
- ^ “Das Kabinett von Papen” (ドイツ語). Das Bundesarchiv. 2023年8月10日閲覧。
パーペン内閣
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1932年6月1日、ヒンデンブルクはフランツ・フォン・パーペンを首相に指名した。中央党の元党員であったパーペンは、貴族ばかりを集めて組閣したため、SPD系の新聞Vorwärtsから「男爵内閣(Das Kabinett der Barone)」と書き立てられた。パーペン内閣を承認したのはDNVPだけだったので、ヒンデンブルクはパーペンの権力を裏付けるためにヴァイマル憲法第48条を持ち出さなければならなかった。パーペンを指名するとヒンデンブルクは直ちに国会を解散し、7月31日に選挙を実施することにした。解散中なら内閣は国会の反対を一切気にすることなく政策を実行できたので、準軍事組織の活動禁止を取り止め、さらに州選挙後に州議会が行き詰まっていたプロイセン自由州で、SPDを中心とする連立政権を軍を動員して転覆させた(プロイセン・クーデター(ドイツ語版))。 7月に行われた選挙は、得票率37.4%を獲得して議席を107から230に倍増させたナチ党の地滑り的大勝利に終わり、ついにナチ党が第一党に踊り出た。この結果を受けて、シュライヒャーはナチ党を懐柔すべくヒトラーに入閣を打診した。しかし、ヒトラーは自らが首相になるのでなければ受け入れられないとしてこれを撥ね付けた。パーペンは留任したが、9月12日に野党提出の緊急令に対する動議で敗北したため、国会は再び解散された。 11月の選挙ではナチ党は前回ほどの大勝利とまでは行かなかったが第一党の地位を維持し、SPDも議席を減らした一方で共産党が議席を伸ばして第三党となったことから、国会運営の行き詰まりにも実質的な変化はなかった。ヒトラーは再び国会第一党の党首として首相の座を求めたが、ヒンデンブルクはヒトラーが議会で過半数を押さえない限り承認することはないと述べたため両者は決裂した。ヒンデンブルクは、パーペン内閣がこれ以上の敗北とそれに続く選挙(その結果としてナチ党が過半数を押さえること)を避けるにはあまりにも支持されていないことに気が付いた。ここに至ってパーペンは、軍事クーデターを起こして選挙を無期限に延期し、大統領権限を拡大して野党を抑圧することを提案した。ヒンデンブルクは難色を示しつつ強く反対もしなかったが、シュライヒャーが頑として国軍の動員を拒否したこともあって、パーペンを解任することにした。
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