ナチスの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:56 UTC 版)
「フランツ・フォン・パーペン」の記事における「ナチスの台頭」の解説
1932年7月31日に投票が行われた総選挙では、ナチ党が37.4%の得票率を得て230議席(改選前107議席)を獲得し、第一党に躍り出た。社民党は21.6%の得票率で133議席(改選前143議席)に減らした。国家人民党も37議席(改選前41議席)に減らした。中央党は激しいパーペン攻撃の成果で76議席(改選前68議席)に伸ばした。共産党も89議席(前回77議席)を獲得して躍進した。 シュライヒャーは8月5日にパーペンに独断でヒトラーと面会し、パーペン内閣に副首相として入閣するよう求めたが、ヒトラーは首相の地位を要求した。シュライヒャーはヒトラーを首相にするようヒンデンブルクに取り計らう様になったが、ヒンデンブルクもパーペンもその意思はなかった。ヒンデンブルクはヒトラーを毛嫌いしていたし、パーペンはいくつかの閣僚職を提供することでナチ党を取りこむことができると未だに考えていた。 8月13日午前にヒトラーは、国会議長ゲーリングと突撃隊幕僚長レームを伴ってパーペンとシュライヒャーとの会談を長時間にわたって行った。パーペンはヒトラーに副首相として自分の内閣に入閣することを求め、さらにヒトラーが副首相として実りある協力をしてくれたなら、その後に首相の地位を譲ると持ちかけたが、ヒトラーはその話には乗らず、今すぐ無条件に自分を首相にすることを求めた。続いて同日午後にはヒンデンブルクとヒトラーの会談が行われ、ヒンデンブルクがヒトラーに副首相になるよう説諭したが、ヒトラーは相変わらず首相職を要求したため、最終的にナチ党と政府は決裂した。 この会談の決裂で突撃隊を中心にナチ党内で武装蜂起を求める声は強まった。8月22日にボイテンの裁判所がポテンパ(ドイツ語版)村の共産党員を殺害(ポテンパ村殺人事件(ドイツ語版))した突撃隊員5人に死刑判決を下したのを機に、ヒトラーはかつてないほど突撃隊を使っての政府脅迫を行った。これに怯えたパーペンはヒンデンブルクに奏上して9月2日にこの突撃隊員5名を終身刑に減刑させた。 9月12日に国会が召集され、パーペンは所信表明演説をしようとしたが、共産党議員がパーペン内閣不信任の緊急動議を提出した。一時休会した後、ナチ党議員団はヒトラーからの指示でこの共産党の動議に賛成することになった。パーペンは休会中に大統領の解散命令書を急遽取りに行かせた。再開後、ゲーリング議長はパーペンを登壇させず先に不信任決議案の採択を行い、512対42で可決される。パーペンはこの大差の不信任の屈辱を受けた後に大統領命令を提出して議会を解散させた。選出されたばかりの議会がただちに解散されることとなった。
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