ナチスの侵攻と共産化の下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 14:32 UTC 版)
「キリスト教民主同盟=チェコスロバキア人民党」の記事における「ナチスの侵攻と共産化の下で」の解説
1938年から1939年にかけてチェコスロバキアがナチス・ドイツに占領されると、イギリスに置かれたチェコスロバキア亡命政府で、ベネシュ大統領の下にシュラーメクが首相となった。1945年に第二次世界大戦が終結すると、帰国したČSLはベネシュ大統領の下で挙国一致内閣に参加し、そのなかの右派を構成した。 しかし1948年にチェコスロバキア共産党 (略称: KSČ) が全権を掌握すると、ČSLの幹部の多くは逮捕・投獄され、ČSL自体は辛うじて党の存在は許容されたものの、共産党の指導下にある統一戦線組織・国民戦線への参加を強いられ、共産党のヘゲモニー政党制(人民民主主義体制)が確立するなかで衛星政党となってしまった。なおČSLは衛星政党でありながらも、1984年の数字で6万人以上の党員を有しており比較的、独自の組織力があった。
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