ナチスに対する態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:46 UTC 版)
「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「ナチスに対する態度」の解説
1933年1月30日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の党首アドルフ・ヒトラーがパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領より首相に任命され、ドイツの政権を掌握した。 ヒトラーの軍事に関するイデオロギーは、ヴェルサイユ条約の打破と軍拡を目指すものであったので、フォン・シュタウフェンベルクとしても賛同するところが多かった。師であるシュテファン・ゲオルゲもナチ党に一定の評価をしていた(ただしゲオルゲはヒトラー内閣科学芸術国民教育相ベルンハルト・ルストからの政府役職への就任の要請は拒否している)。第17騎兵連隊の演習場でヒトラーの首相就任を知った時、彼は「あいつめ、ついにやったか!」と叫び、熱狂的に喜んだという。さらにその日の晩には将校クラブの席上で「新しい党」についての熱弁を振るったといわれる。 一方でナチ党の反ユダヤ主義に関するイデオロギーについては全く同調しなかった。所属する騎兵連隊を代表してナチ党の集会に出席した際、ナチ党フランケン大管区指導者ユリウス・シュトライヒャーが臆面もなくユダヤ人への誹謗を行うと、彼は敢然と席を立って退出している。 1934年6月末から7月初めの「長いナイフの夜」事件については「透明性を図るための自浄作用」として肯定的に評価している。しかしハーケンクロイツが軍の国章として引き継がれたことやヒンデンブルク死去後に軍がヒトラーに忠誠宣誓をさせられたことには否定的だった。1938年2月の国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルク元帥と陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将の解任(ブロンベルク罷免事件)については激しく反発し、不満を何度も口にしている。 彼が反ナチ派になった決定的な出来事は、1938年11月9日にナチ党が起こした反ユダヤ主義暴動「水晶の夜」だった。この惨事を見たフォン・シュタウフェンベルクは「大きな恥辱がドイツにもたらされた」と感じた。彼の副官によると彼のナチ党や党幹部個人への批判はこの事件をきっかけにして激しくなったという。 庶民出身者の多いナチスの野蛮な行為はフォン・シュタウフェンベルクの貴族・ブルジョワ・カトリックとしての道徳心や正義感に反した。彼はユダヤ人政策と宗教弾圧に反感を抱くこととなる。
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