退官後、ナチスの台頭
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「エトムント・フッサール」の記事における「退官後、ナチスの台頭」の解説
1929年 弟子たちの手で70歳記念論文集として『年報』別巻が出版される。自身も『年報』第10巻に『形式論理学と超越論的論理学』を発表。これに関連した手稿が死後(1938年)に『経験と判断』として編集、出版される。 ソルボンヌ大学へ招かれてデカルト講堂で「超越論的現象学入門」と題した講演を行う。 1930年 『年報』第11巻(終刊号)に「『イデーン』へのあとがき」を発表。 1931年 ソルボンヌ講演を敷衍し、後期の代表作となる『デカルト的省察』として出版。 1933年 ヒトラー政権成立。このころにはすでに国際的な名声も高まり、欧米各国ではアカデミー名誉会員に推されたりもしていたが、ドイツ国内ではユダヤ人であったため活動を極度に制限される(教授資格剥奪、大学構内への立入禁止、国内での全著作発禁、海外の国際哲学会議への参加不許可など)。このためフッサールはほとんど毎日を書斎の中で過ごし、1日10時間を執筆に充てていた。しかもフッサールは速記を学んでいたので、1938年に亡くなるまでに残された未発表草稿は45000ページにも及んだ。 1935年 5月、ウィーン講演「ヨーロッパ人類の危機における哲学」。 11月、プラハ講演「ヨーロッパ諸学の危機と心理学」。 1936年 1935年の2講演をもとに『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第1・2部を完成させ、政府の目を潜り抜けるためベオグラードの雑誌『フィロソフィア』に発表(第3部は死後刊行)。 1938年 4月27日、歿。 45000ページに及ぶ草稿はベルギーの神父ファン・ブレダの手によってナチスの検問を逃れ、「フッサール文庫」としてルーヴァンに保管されている。
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