パーペン内閣国防相とは? わかりやすく解説

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パーペン内閣国防相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 17:14 UTC 版)

クルト・フォン・シュライヒャー」の記事における「パーペン内閣国防相」の解説

1932年5月26日にはシュライヒャー次の首相としてフランツ・フォン・パーペンベルリン呼び寄せていた。5月30日ブリューニング内閣瓦解すると、シュライヒャーは、ヒンデンブルクパーペン後継首相に推薦したシュライヒャー当時ほとんど無名だったパーペン首相に推薦したのは、パーペンが無経験外見ばかり気にする性格だったため、操り人形にし易し判断したからという。「パーペン人の上に立つ器ではない」という周囲反対に対してシュライヒャーは「彼に人の上になど立たれては困るな。彼は帽子みたいなもんだ」と語ったという。6月1日パーペン内閣成立しシュライヒャー退役して名誉階級歩兵大将階級与えられるとともに国防相として入閣したパーペン内閣貴族ばかりの内閣として国民の支持皆無だったナチ党を除く全主要政党からパーペン内閣攻撃晒された。先のシュライヒャーとの約束によりナチ党のみがパーペン批判控えていた。シュライヒャーは、早速ナチ党取り込み工作開始し6月3日ヒトラー面会して協力要請したが、拒絶された。 1932年7月31日投票が行われた総選挙ナチ党が37.4%の得票率得て230議席(改選107議席)を獲得し第一党躍り出たシュライヒャー8月5日パーペン独断ヒトラー面会しパーペン内閣副首相として入閣するよう求めたが、ヒトラー首相地位要求したシュライヒャーヒトラー首相にするようヒンデンブルク取り計らう様になったが、ヒンデンブルクパーペンもその意思はなかった。ヒンデンブルクヒトラー毛嫌いしていたし、パーペンはいくつかの閣僚職提供することでナチ党取りこむことができると未だに考えていた。 社民党オットー・ブラウン首班務めプロイセン州政府武力解散させて政府支配下に置くことには成功したものの、パーペン政治能力疑問を持つようになる11月6日行われた総選挙では、ナチ党共産党起こしたストライキへの参加ブルジョア的なパーペン内閣への激し攻撃などにより財界ナチ党員にかなり離反されていたため、選挙資金確保できずに議席大きく減らした。しかし第一党確保した。またナチ党以上に厄介な共産党躍進してしまった。パーペン再度ヒトラー副首相就任打診したが、やはり拒絶された。 パーペンを見限ったシュライヒャーは、政党交渉をしやすくするためとして後の交渉ヒンデンブルク任せパーペン内閣総辞職求めた11月17日パーペン内閣形式的に内閣総辞職して暫定事務処理内閣移行した。しかしパーペンはいずれヒンデンブルクから再度組閣命令が来ると信じていた。11月18日から24日にかけてヒンデンブルクマイスナーなど大統領府ヒトラー交渉が行われたが、やはり平行線終わった12月1日午後6時ヒンデンブルク大統領パーペンシュライヒャー招集したパーペンは数か月前から立てていた憲法違反クーデタ計画ヒンデンブルク提案した国軍出動させて議会半年停止しその間改憲行って大統領権限強化する計画であった。しかしパーペン失脚させたがっていたシュライヒャーはこの計画反対した。シュライヒャー自分首相に就任し、ナチ党一部取り込んで分裂を誘うべきと主張したヒンデンブルクパーペン支持したが、シュライヒャー頑として国軍クーデタへの参加拒否したつづいて12月2日閣議シュライヒャーは「パーペンの下で政府作ろうといういかなる試みも国を混乱陥れるだけ。ナチス内乱起こせば国軍にそれを鎮圧することは不可能」としてパーペン退陣求めた閣僚はほとんどシュライヒャー支持したパーペン大統領府逃げ込みヒンデンブルク支持得ようとしたが、「ことここにいたってシュライヒャー任せようと言われたという。こうして12月2日クルト・フォン・シュライヒャー組閣命令下った

※この「パーペン内閣国防相」の解説は、「クルト・フォン・シュライヒャー」の解説の一部です。
「パーペン内閣国防相」を含む「クルト・フォン・シュライヒャー」の記事については、「クルト・フォン・シュライヒャー」の概要を参照ください。

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