パーマに関する事柄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:49 UTC 版)
「パーマネントウエーブ」の記事における「パーマに関する事柄」の解説
日本に最初にパーマ技術を紹介したのは米国で学んだハリウッド美容室の初代メイ牛山こと牛山春子。1935年頃、山野美容講習所(現山野美容専門学校)創設者、山野愛子が日本初の国産パーマ機を導入して日本にパーマ技術を普及させた。 日本では日中戦争(支那事変)が勃発した戦時下の1930年代後半以降、過度なお洒落は贅沢行為としてパーマに反対する運動が起こり、1939年には「パーマネントはやめませう(パーマネントはやめましょう)」と言う言葉が流行語にもなった。またこれと相前後して、日本の一部の地域の町会では「町会決議によりパーマネントの方は当町の通行をご遠慮ください」と言う立て看板まで設置された実例もあった。アメリカ・イギリスとの関係が悪化した1940年頃からパーマネントはいわゆる敵性語として「電髪(でんぱつ)」と言い換えられる場合もあった。しかし、パーマネント排斥運動自体は決して完全なものではなく、日中戦争を描いた内務省と陸軍省が指導・後援する1940年4月17日公開の映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』では、序盤にヒロインである田中絹代演ずる資産家(牧場主)の娘らがパーマをかけ洒落た服装で乗馬ピクニックをするシーンが存在している。 さらに、太平洋戦争中の1943年に帝国陸軍の東部軍司令部が、防空情報の処理要員として採用した女性軍属たる「女子通信隊員」達が公然とパーマネントをかけた髪型で制服を着用し軍務に就いている写真がグラフ雑誌に掲載されている。 近年では例えばウェーブを持った髪をストレートスタイルに移行する場合にはストレートパーマと呼ぶなど、これらの化学反応を使ったスタイルチェンジ自体が「パーマ」という意味で語られることも多い。生まれつきウェーブがかかった縮毛のことを、俗に天然パーマ(テンパー)などと呼ばれる。 最近では国内でデジタルパーマやエアウェーブなどパーマの呼び名も多様化しているが、それらの多くは商業的な差別化を図るための単一の業者による商標名であることがほとんどで、サロン側がその名称をそのまま使用するケースも多く科学的・原理的な分類とは異なることに注意したい。
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