書記官長退任後
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1945年10月5日、当時の島田俊雄衆議院議長の強い推薦により貴族院議員に勅選せられ、同月11日、7年6か月に及んだ衆議院書記官長の任を免ぜられ、23年間勤めた衆議院を去る。貴族院議員としては、無所属倶楽部に属す。帝国憲法改正案の審議に際して、日本国憲法第59条3項(法律案の両院協議会)の規定を挿入する修正にかかわった。また、国会法案の審議に際しては、特別委員として、参議院から法律案に係る両院協議会を請求することを可能とする等の修正にかかわった。1947年5月2日、貴族院廃止に伴い同議員を退任した。 1947年、第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補するものの、110位(定数100)、62,747票で落選する。また、新憲法の施行により貴族院議員の地位を失うが、同年6月から1950年まで東京都副知事を務め、安井誠一郎知事のもと、予算・人事の担当としてGHQや都議会・労働組合との調整に当たる。全国選挙管理委員会委員も務めた。 引退後、1969年には終戦時の日記を公刊。1980年に10年かけて執筆した回想録を出版し、翌1981年に没した。
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