キーロフ【Kirov/Киров】
読み方:きーろふ
ロシア連邦西部、キーロフ州の都市。同州の州都。旧称フリイノフ、続いてブヤトカ。ウラル山脈西麓、ブヤトカ川沿いに位置する河港都市。シベリア鉄道が通る。機械工業、化学工業が盛んなほか、人形などの玩具製作で知られる。帝政ロシア時代の流刑地の一つ。
キーロフ【Sergey Mironovich Kirov】
【キーロフ】(きーろふ)
ソビエト連邦海軍・ロシア海軍の重装原子力ミサイル巡洋艦(巡洋戦艦)。
ロシアではProject1144.1/1144.2「オルラン」と呼ばれる。
また、1番艦の就役時の艦名から「キーロフ」級と呼ばれ、第二次世界大戦後に建造が開始された水上戦闘艦では(航空母艦を除けば)最大の艦である。
同艦の就役を受け、アメリカ海軍はモスボール保管していた「アイオワ」級戦艦4隻を(巡航ミサイル発射母艦としての機能を実装した上で)現役復帰させた。
技術的に特徴の多い艦で、アメリカのイージスシステムに数年先駆けて同時多目標対処可能な艦隊防空システム「フォールト(S-300F(SA-N-6))」やVLS方式を採用し、30mm機関砲と近接防空ミサイルを組み合わせた「コールチク」複合CIWS、西側ではあまり見られない連装砲などを装備している。
また、現代の軍艦では珍しく、艦の主要部分に50mm~100mmの装甲が施されており、舷側をテーパーさせる事でステルス性も持ち合わせている。
また、船体側面には、全長を取り巻くように消磁コイルを装着している。
現在までに4隻が就役しており(就役後、現在も稼動状態に有る艦は4番艦のみ)、4隻とも搭載される武装が異なっている。
スペックデータ
同型艦(カッコ内は改称後の艦名)
艦名 | 起工 | 進水 | 就役 | 除籍 | 所属艦隊 |
キーロフ (Киров) (アドミラル・ウシャコフ (Адмирал Ушаков)) | 1974.3.27 | 1977.12.26 | 1980.12.30 | 2004.6.29 (保管) | 北方艦隊 |
フルンゼ (Фрунзе) (アドミラル・ラーザリェフ (Адмирал Лазарев)) | 1978.7.27 | 1981.5.26 | 1984.10.31 | - | 太平洋艦隊 |
カリーニン (Калинин) (アドミラル・ナヒーモフ (Адмирал Нахимов)) | 1983.5.17 | 1986.4.25 | 1988.12.30 | - | 北方艦隊 |
ユーリー・アンドローポフ (Юрий Андропов) (ピョートル・ヴェリキー (Петр Великий)) | 1986.4. | 1989.4. | 1998.4.18 | - | 北方艦隊 旗艦 |
アドミラル・クズネツォフ (Admiral Kuznetsov) (旧名ジェルジンスキー (Дзержинский)) | 1989.5.9起工 →1990.10.4 建造中止 | - | - | - | - |
ロシア (Росси́я) | 計画中止 | - | - | - | - |
ジュダーノフ | 計画中止 | - | - | - | - |
スヴェルドロフ | 計画中止 | - | - | - | - |
ジェレズニャコフ | 計画中止 | - | - | - | - |
キーロフ
キーロフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 15:18 UTC 版)
キーロフ Киров |
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位置 | |||||
![]() ロシア内のキーロフ州の位置 |
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座標 : 北緯58度36分 東経49度39分 / 北緯58.600度 東経49.650度 | |||||
歴史 | |||||
建設 | 1374年 | ||||
行政 | |||||
国 | ![]() |
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連邦管区 | 沿ヴォルガ連邦管区 | ||||
行政区画 | ![]() |
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市 | キーロフ | ||||
市長 | Vladimir Bykov | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 757 km2 | ||||
標高 | 150 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2019年現在) | ||||
市域 | 512,954人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | モスクワ時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 610000-610050 | ||||
市外局番 | +7 8332 | ||||
ナンバープレート | 43 | ||||
公式ウェブサイト : http://www.admkirov.ru/ |
キーロフ(ロシア語: Киров, Kirov)はロシア中西部の都市。ヨーロッパ・ロシアの北東部、ウラル山脈の西側にあるキーロフ州の州都。ヴャトカ川の河畔に広がり、河港を持つほか、キーロフ駅はシベリア鉄道の主要駅の一つである。モスクワからは東へ約900km、最寄の都市キーロヴォ=チェペツクからは西へ22km。
人口は2009年の時点で464,069人、2002年全ロシア国勢調査では457,578人。
1781年まではフルイノフ(Хлынов, Khlynov)、1934年まではヴャトカ(Вятка, Vyatka)と呼ばれていた。1934年に革命家セルゲイ・キーロフを記念して改称された。セルゲイ・キーロフにちなむものとしては、ほかにもロシア海軍の巡洋艦のクラス名・キーロフ級ミサイル巡洋艦などがある。
歴史
ウラル山脈のすぐ西にあるフルイノフの砦は12世紀末にはノヴゴロド共和国の商人によって建設され、さらにニジニ・ノヴゴロドからの住民が東のジョチ・ウルス領内へ入植する過程での前哨ともなった。1374年の文書でははじめて、町としてフルイノフという地名が登場する。
14世紀から15世紀のフルイノフはニジニ・ノヴゴロド公国に属する町で、ニジニ・ノヴゴロドからは離れているため大幅な自治を謳歌していた。ロシアの古い町同様クレムリ(要塞)があり、2メートルほどの高さの壁で囲われていた。1489年にはフルイノフはイヴァン3世の遠征によりモスクワ大公国に併合され辺境の防衛拠点となった。しかしカザンを中心に勢力を誇っていたタタール人のカザン・ハン国に征服されたこともあった。タタール人はフルイノフを「フルン」(タタール語: Hılın)と呼んだ。

フルイノフは古くから農産物の集散や工芸品作りで栄えた。近郊のディムコヴォ村で作られる土製の人形や笛などのおもちゃで知られ、現在でもディムコヴォ人形やヴャトカ人形などと呼ばれる。街の最古の建築は、1689年に遡る、5つのドームを頂く生神女就寝大聖堂である。
1781年にはフルイノフはヴャトカと改名された。1796年、エカチェリーナ2世の地方行政改革でヴャトカ県が新設され、ヨーロッパ・ロシア北東部最大の町であったヴャトカはその県都となった。一方で18世紀から19世紀のヴャトカは流刑地でもあり、思想家アレクサンドル・ゲルツェン、建築家アレクサンドル・ヴィトベルク、風刺作家ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンら反体制派の高位の人物がヴャトカへ流刑にされている。19世紀末にはシベリア鉄道が開通し、その重要な駅が置かれたヴャトカには工場などが集まり始める。
1917年から1922年までのロシア内戦では、シベリア鉄道上の要衝であるヴャトカは赤軍と白軍との戦場となり、町は大きく破壊された。1934年12月1日に共産党の指導者であったセルゲイ・キーロフが暗殺されると、同年12月7日、彼の故郷に近いヴャトカ市は彼を記念してキーロフと改名された。
1991年のソビエト連邦の崩壊以後、市名をヴャトカに戻す提案もあったが立ち消えになり現在に至っている。
経済


キーロフはシベリア鉄道などが通る鉄道の中心地で、さらにヴャトカ川の港もある水運の中心でもある。1943年にはトロリーバスが市内に開通している。同じ年に路面電車も運行を始めたが、今は運行していない。
ソ連崩壊以後のキーロフの道路事情や交通事情は芳しくない。キーロフ河川港は1990年代末に破産し、船は他の地域に売られるなどしている。キーロフの空港はポベディロヴォ空港であるが、1990年代に閉鎖され不定期便のみが運航していた。2003年から2006年の夏季には複数の航空会社がモスクワ行きやクラスノダール行きの路線を開設しようとするなど再開の機運が見られ、2006年以後は地元の航空会社がモスクワ便を運航している。
工業は機械工業が中心で、自動車製造、電気工業、電子工業、金属工業、木材加工などが盛ん。20世紀のはじめより、この町は重要な工業の拠点とされ多くの工場が立地した。16世紀以来の土人形作りでも知られる。
文化
キーロフには複数の美術館・博物館、劇場、大学等が所在する。モスクワ法学アカデミーの分校、ロシア教育アカデミーの分校、モスクワ人間学・経済学研究所の支部などがあるほか、キーロフ医科大学、キーロフ農業アカデミー、キーロフ師範大学などがある。
プラウダ紙(2005年1月4日)の記事によれば、キーロフでは双子の出生率が特に高いという。
姉妹都市
外部リンク
キーロフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 04:25 UTC 版)
レニングラードの第189造船所で建造。1935年10月22日起工、1936年11月30日に進水し1938年9月26日に竣工。バルチック艦隊に配属された。第二次世界大戦ではタリンとレニングラードの防衛戦に参加。タリン防衛戦では爆撃による命中弾1発と至近弾によって死者9名負傷者30名を出し、レニングラード防衛戦でも爆撃を受けて命中弾7発と至近弾により死者89名負傷者58名を出した。 1945年10月17日、クロンシュタット近海で触雷し損傷。 1958年4月29日に予備役となり、1960年9月にはレニングラードへと移って練習巡洋艦となる。1968年のセベル演習では旗艦を務め、1970年にはオケアン演習に参加した。1974年2月22日に除籍され、解体された。
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