河井弥八とは? わかりやすく解説

河井彌八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 02:49 UTC 版)

河井彌八
かわい やはち
河井 彌八
生年月日 1877年10月24日
出生地 日本 静岡県佐野郡上張村
没年月日 (1960-07-21) 1960年7月21日(82歳没)
所属政党 緑風会
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
親族 河井重藏
館林三喜男娘婿
在任期間 1953年5月19日 - 1956年4月3日
天皇 昭和天皇
選挙区 静岡県地方区
当選回数 2回
在任期間 1947年5月3日 - 1956年6月3日
在任期間 1938年1月7日 - 1947年5月2日
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河井 彌八(かわい やはち、1877年明治10年)10月24日1960年昭和35年)7月21日[1])は、日本官僚政治家侍従次長参議院議長(第4代)を歴任する。静岡県出身。

来歴

生い立ち

静岡県佐野郡上張村にて生まれた[2][† 1][† 2]1897年(明治30年)静岡県尋常中学校卒業。1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[3]

官僚として

内務省に入省して佐賀県内政部長代理などを歴任する。1918年(大正7年)に内閣法制局に移り、翌年に貴族院書記官長1926年内大臣府秘書官長となり、1930年(昭和5年)から7年間にわたって皇后宮大夫侍従次長として昭和天皇香淳皇后の側近として仕えた。

政治家として

1938年(昭和13年)1月7日に貴族院議員に任命された[4][5]。貴族院では同成会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任[1]。この間、鉄道会議議員を兼ねた。また大日本報徳社社長ともなっている。

サツマイモ栽培や砂防林の普及運動に力を尽くし「サツマイモ博士」とあだ名された[6]1943年(昭和18年)11月22日には、昭和天皇に謁見する機会を得て、甘藷増産運動を通じた増産、植林と砂防の重要性について奏上を行った[7]

戦後、第1回参議院議員通常選挙静岡県地方区から立候補し、参議院議員に当選した。当選後は緑風会に所属し、3年後の第2回通常選挙でも再選された[8]

1953年(昭和28年)には参議院議長に就任した。1956年(昭和31年)の第4回通常選挙では落選し、高齢だったこともあり政界引退を表明した。没後に従二位勲一等旭日桐花大綬章が授章された。

人物

1955年3月26日、河井は鳩山一郎とともにフリーメイソン第二階級に昇進した[9][10][要出典]

家族・親族

河井家は代々庄屋を務めていた家系である。もともと河井家は、寛永年間頃に遠江国佐野郡掛川宿に住んでいた三河屋徳兵衛を家祖としている[2][† 3]。その後、2代を経て当主が三河屋弥八を名乗り[2]、以降は歴代当主が「弥八」を襲名していた[2]。掛川藩の御用達を務めるほどの繁栄を見せたが[2]文政年間に三度火事に罹災したことから[2]、掛川宿の南に位置する上張村に邸宅を移すことにした[2]。父の河井重藏は9代目の当主にあたる[11][12]。重藏は、静岡県会議員衆議院議員などを歴任した。

公刊日記

  • 『昭和初期の天皇と宮中 侍従次長河井弥八日記』(全6巻、岩波書店)、1993-94年[16]。岩波オンデマンドブックス、2025年
  • 『河井 弥八日記 戦後篇』(全5巻、信山社出版)、2015-20年[17]
編・刊行

栄典

脚注

註釈

  1. ^ 静岡県佐野郡は、城東郡と合併し、1896年に小笠郡が設置された。
  2. ^ 静岡県佐野郡上張村は、南西郷村、下俣村、長谷村、杉谷村、結縁寺村と合併し、1889年に南郷村が設置された。
  3. ^ 遠江国佐野郡掛川宿は、下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部と合併し、1889年に掛川町が設置された。

出典

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』115頁。
  2. ^ a b c d e f g h 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38巻、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、259頁。
  3. ^ 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年、か15頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  5. ^ 『官報』第3302号、昭和13年1月8日。
  6. ^ 前田寿紀『戦中・戦後甘藷増産史研究』<淑徳大学総合福祉学部研究叢書22>学文社、2006年
  7. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第九』東京書籍、2016年9月29日、240頁。 ISBN 978-4-487-74409-1 
  8. ^ 参議院の第1回通常選挙は全議席の選出が行われ、下位当選者の任期を3年と定めて次の選挙における半数改選議席としており、河井はこれに該当した。
  9. ^ Freemasonry and Modern Japanese History By Tim Wangelin , Far East Lodge No.1 , 2015-9-11閲覧。
  10. ^ 赤間88ページによれば1955年5月25日に「昇進が行われた」とある。
  11. ^ “田中正造の書簡、掛川で発見…市教委が公開へ”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE). (2014年10月13日). オリジナルの2014年10月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141021042339/http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20141012-OYTNT50342.html 
  12. ^ “足尾鉱毒告発、田中正造書簡に伊藤博文の風刺画”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE). (2014年10月13日). オリジナルの2014年10月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141016001944/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20141012-OYT1T50165.html 
  13. ^ a b c d e f g 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38巻、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、260頁。
  14. ^ 掛川市教育委員会社会教育課編集『掛川の人物誌』掛川市教育委員会、1985年、23頁。
  15. ^ 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38巻、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、284頁。
  16. ^ 昭和改元した1926年から1932年までの日記。粟屋憲太郎小田部雄次高橋紘 解説・校訂
  17. ^ 尚友倶楽部/中園裕・内藤一成・村井良太奈良岡聰智・小宮京 編。5巻目に通巻索引。中央公論(2013年7・8月号)で、『参議院議長河井弥八日記』として先行紹介(内藤一成解説)
  18. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

議会
先代
佐藤尚武
参議院議長
第4代:1953年 - 1956年
次代
松野鶴平
先代
新設
伊達源一郎
参議院内閣委員長
1948年 - 1950年
1950年 - 1952年
次代
伊達源一郎
竹下豐次
公職
先代
高橋誠一郎
文化財保護委員会委員長
1956年 - 1960年
次代
矢代幸雄
委員長代理
先代
渡部信
長官事務取扱
帝室会計審査局長官
1932年 - 1936年
次代
木下道雄
先代
珍田捨巳
皇后宮大夫
1927年 - 1932年
次代
広幡忠隆
先代
大塚常三郎(→欠員)
内大臣秘書官長
1926年 - 1927年
次代
(欠員→)岡部長景
先代
柳田国男
貴族院書記官長
1919年 - 1926年
次代
成瀬達
非営利団体
先代
一木喜徳郎
大日本報徳社社長
第4代:1945年 - 1960年
次代
戸塚九一郎




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