角替利策
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つのかえ りさく
角替 利策 |
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『帝國發明家名鑑』普及版に
掲載された肖像写真 |
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生誕 | 1888年10月5日 |
死没 | 1978年 |
居住 | ![]() |
国籍 | ![]() |
研究分野 | 農学 |
研究機関 | 東京帝国大学 神奈川県立農事試験所 絹業試験所 生糸検査所 京都帝国大学 武庫川学院女子大学 |
出身校 | 東京帝国大学農科大学 農芸化学科卒業 |
プロジェクト:人物伝 |
角替 利策(つのかえ りさく[1]、1888年10月5日[2] - 1978年[3])は、日本の農学者(高分子化学)。位階は正五位。勲等は勲五等。学位は農学博士(東京帝国大学・1931年)。旧制は青野。
東京帝国大学農科大学副手、東京帝国大学農科大学実科講師、神奈川県立農事試験所技師、絹業試験所技師、生糸検査所技師、京都帝国大学農学部講師、武庫川学院女子大学教授などを歴任した。
来歴
生い立ち
静岡県小笠郡城東村(現・掛川市)出身[2]。青野文之丞の次男として生まれ、角替太郎市の養子となった[2]。
農学者として
1915年(大正4年)に東京帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)農芸化学科を卒業し、同大学副手、同実科講師、神奈川県立農事試験所技師、絹業試験所技師、生糸検査所技師などを歴任した[4]。
1931年(昭和6年)9月に論文「石鹸ノ絹精練作用ニ関スル化学的研究」で農学博士の学位を東京帝国大学より取得した[1][4]。1932年(昭和7年)より京都帝国大学農学部農学科講師に嘱託された[4]。武庫川学院女子大学においては教授に就任した[5]。
家族・親族
特許
出典
- ^ a b 石鹸ノ絹精練作用ニ関スル化学的研究 - 国立国会図書館サーチ
- ^ a b c d 『人事興信録 第20版 下』(人事興信所、1959年)つ32頁
- ^ a b 角替 利策(1888-1978) - Webcat Plus
- ^ a b c d 大阪発明協会(編)『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、p.417(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38巻、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、260頁。
- ^ 掛川市教育委員会社会教育課編集『掛川の人物誌』掛川市教育委員会、1985年、23頁。
- ^ 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38巻、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、284頁。
関連項目
- 角替利策のページへのリンク