砂防
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砂防(さぼう、英語:SABO)とは、文字通り『砂(すな)』を『防(ふせ)ぐ』ということであり、大地震や火山 噴火、豪雨・台風等による自然現象や人為的行為がきっかけで荒廃した山地を緑に回復し、流出する土砂は、砂防堰堤(砂防ダム)や渓流保全工、山腹工等様々な対策工で、土砂災害から人々の暮らしと国土を守り、荒廃した自然を穏やかな自然に戻すことである[1][2]。
- ^ 日本の「砂防」と世界の「SABO」
- ^ 『土砂災害から命をまもる:砂防副読本』土砂災害防止広報センター、2020.3
- ^ 土砂災害をふせぐ砂防
- ^ 矢野義男『砂を防ぐ』山海堂、1975.10
- ^ W. C. Lowdermilk『Problems in Reducing Geological Erosion in Japan』IAHS Assemblee, Generale de Bluxelles 1951,Publication No. 33, 1951.6
- ^ 世界に広がる「砂防(SABO)」
- ^ 赤木正雄『砂防一路』全国治水砂防協会、1963.8
- ^ a b c d e 岡本正男『砂防行政の仕組み』全国治水協会、2005.10
- ^ 『福山藩の砂留:その歴史的背景と構造』広島県土木建築部砂防課・広島県福山土木建築事務所、1997.3
- ^ a b c d 『日本砂防史』全国治水砂防協会、1981.6
- ^ 栗島明康「砂防法制定の経緯及び意義について-明治中期における国土保全法制の形成-」砂防学会誌、Vol.66,No.5、p.76-87、2014.1
- ^ 土木学会選奨土木遺産/鎧えん提
- ^ a b 西本晴男著『諸戸北郎とアメリゴ・ホフマン:日本砂防学の源流探訪』西本晴男、2023.2
- ^ 諸戸北郎著『理水及砂防工學 本論』三浦書店、1916.4
- ^ 西本晴男『「土石流」のはなし』全国治水砂防協会、2008.3
- ^ 山梨県砂防課/登録文化財 芦安堰堤
- ^ 『砂防施設ガイドブック:北アルプス白馬山麓 HAKUBA・OTARI 白馬・小谷の砂防紀行』長野県治水砂防協会姫川支部、2018
- ^ 『日本砂防史Ⅱ』全国治水砂防協会、2016.3
- ^ 「宅地造成及び特定盛土等規制法」(通称「盛土規制法」)について
- ^ a b c d 『日本の砂防 SABO in JAPAN』全国治水砂防協会、2018.9
- ^ INTERPRAEVENT 2024 - VIENNA
- ^ インタープリベント2002実行委員会[編]『日本砂防のあゆみ-SABO IN JAPAN 日本砂防の概要紹介』砂防広報センター、2003.3
砂防
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:08 UTC 版)
六甲山は風化花崗岩でできた地質であるため、地表から草木が除かれ土壌が流出すると雨により崩壊しやすい。1938年(昭和13年)に空前の阪神大水害が発生し、大きな被害が出た。これを契機に、翌1939年(昭和14年)より六甲山の砂防事業は国(当時の内務省)の直轄事業に移って今日に至る。この時期から植林による砂防から、渓流への砂防えん堤等の設置対策へと比重が移る。そのため、六甲山は流れる川に砂防の堰堤が多い山としても知られる。国による砂防えん堤が511基、地方自治体によるものも含めると約1000基にのぼる。 砂防事業による効果としては、1967年(昭和42年)の昭和42年7月豪雨にも阪神大水害を上回る雨量で土砂災害が発生したものの、都市化の進行にもかかわらず被災者数、被災家屋は少なくなっていることが挙げられる。 1995年(平成7年)の兵庫県南部地震では、六甲山も崩壊地が多数生じ、新たな危機が浮き彫りとなった。これを契機に、六甲山系グリーンベルト構想が打ち出され、今日に至っている。
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砂防
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詳細は「砂防」を参照 河川の上流部に位置する山地からは土砂が流入し、岩石なども自然の風化などによって砕かれ流れと共に細粒化しながら河口、または途中に堆積する。堆積物も流れに応じて再び川へ流入する。日本では1年間におおよそ2億立方メートルの土砂が山地から河川へ流出していると推定されており、半分程度の約1億立方メートルが川の途中のダムや砂防ダム、堰などに堆積して、残りが河口まで流れ下ると考えられている。土砂は利水用ダムの機能を減殺したり、堤防で仕切られた下流の河床を上げることで決壊のような洪水のリスクを増したりするため、砂防ダムなどで流入量が調整される。河川にこのような人工物が存在しない時代に自然に形成された河口側の砂浜などは、砂防ダムなどによる土砂の流入量の減少によって痩せ細る傾向がある。
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砂防
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マサ土による土砂災害は1641年(寛永18年)福山藩主水野勝俊から家老に災害を憂いた文章が残っているほど、この流域では古くから悩ませている。土砂災害対策は2010年現在でも重要な問題であり、特に広島県は土砂災害危険箇所の数は日本一のものとなっているため、県を中心に災害対策が取られている。 福山藩の砂防 福山藩は、船運航路確保および土砂災害に対する重要政策として「砂留」という砂防ダムを建設しており、この時代に28基普請された。福山城博物館所蔵『三谷家文書』に天保年間(1830年から1843年)に行われた砂留普請の記録が残っている。 神辺地区にある支流高屋川の支流(芦田川二次支流)である堂々川には、日本に現存する中でも古い部類の砂防ダムがある。この"堂々川砂留"は空石積堰堤で作られ現在1番から6番まで現存しており、最も上流に位置する6番砂留は1835年(天保6年)竣工で最大規模の砂留である。堂々川支流(三次支流)にある"鳶ヶ迫砂留""内廣砂留"も当時作られたもので、周辺は親水護岸や公園が県により整備されている。これら「堂々川砂留群」は2006年に国の登録有形文化財に登録されている。
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