砂防工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 02:16 UTC 版)
飛越地震の後、土砂流出災害が度重なったため、富山県は1906年(明治39年)、国庫補助を受けて白岩砂防堰堤より上流の砂防工事に着手した。しかし、この白岩砂防ダムも、1919年(大正8年)、1922年(大正11年)と続けて破壊されてしまった。そのため、富山県だけで本事業を行うのが困難となり、1926年(大正15年)、国直轄の事業に変更となった。 その後、1931年(昭和6年)に千寿ヶ原~白岩間の砂防工事用トロッコ軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道)が開通し、資材輸送ルートが完成。1937年(昭和12年)には日本一の貯砂量をもつ本宮砂防ダム(国の登録有形文化財に登録)が完成。1939年(昭和14年)には10年の歳月をかけた白岩堰堤(国の重要文化財指定)が完成。7基の副ダムの複合体としてのダムとして、高さ63 m、落差108 mの規模は、ともに日本一の高さである。本砂防事業内だけで2つの日本一を有している稀な事業となっている。その他、カルデラ内外に数多くの砂防ダムを築き、富山平野への土砂流出を防いでいる。 この砂防事業に対し、幸田文は著書『崩れ』 に感銘した旨を書いている。カルデラ内には『崩れ』の文学碑も建てられている。 現在でも、流出すれば富山平野が1 - 2メートルは埋没してしまうといわれるほどの大量の土砂(約2億 m3、黒部ダムの総貯水量約2億トンとほぼ同じ量)が立山カルデラに残っている。そのため、流出防止のため大規模な砂防工事が、白岩砂防ダム含め今日においても毎年約50億円の予算をかけ行われている。ただし、冬期は20メートルほど積雪があるので、雪害を防ぐために工事は4月~10月しか行うことができない。11月~4月の間は工事を中止し、現地工事事務所の建物のほとんどと砂防工事用トロッコの橋脚を撤去している。 その工期は無期限と現在では考えられている。原因は、火山灰が大量に堆積し生成された土砂の地質のため、砂防ダムを建設しても「土砂の上にコンクリートのダムを造っている」ような大自然から考えると脆弱なものであり、完全に流出防止させることはその土砂の堆積量からも不可能とされているためである(強固な岩盤地質はカルデラ周辺部に露出した柱状節理があるが、カルデラ内では分厚い堆積物の下にあり、ないに等しい)。工事中および休止中でも立山カルデラの様子は24時間態勢でカルデラ内各所に設置された監視カメラで監視されており、不意の事態の場合には、山道を使っての避難やヘリコプターによる避難の態勢が取られている。10 km以上離れた立山駅周辺においても、カルデラ砂防博物館屋上からヘリコプターで避難できるようになっている。そのため、立山カルデラの砂防工事は世界的にも有名になっている。 2007年、富山県は「立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰・砂防・発電-~」をテーマに、世界文化遺産登録に向けて提案を行い、「暫定一覧表候補の文化遺産(カテゴリーⅡ)」に位置づけられた。 富山県立山町には立山カルデラ砂防博物館があり、立山カルデラや周辺の砂防工事の歴史・展示紹介、見学会の受付(郵送・インターネットによる事前の応募と抽選による)を行っている。見学会では工事用トロッコやバスからカルデラの様子を見ることができる。立山カルデラ周辺は関係者以外の立入が規制されている[要出典][誰によって?]。
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