土砂の堆積
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:22 UTC 版)
江戸時代後期になると佐屋川が木曽川の流す土砂の堆積により浅くなり、佐屋湊への川舟の航行に支障をきたすようになった。佐屋湊では幕府の支援を受け川の浚渫なども行ったが土砂の堆積には抗しきれず、半里下流の五ノ三村(弥富市)に出湊として川平湊を開いて使用することとなった。これは宿場から離れていたため佐屋宿にとって大きな負担となった。1843年(天保14年)佐屋宿を1里下流の五明(弥富市)へ移転する案を佐屋代官の尾張藩勘定書へ申請したが実現せず、佐屋宿の負担は明治まで続いた。
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