三里の渡し
三里の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:14 UTC 版)
「三里の渡し」も参照 三里の渡しは、佐屋宿から桑名宿まで川船による結ぶ、三里の水路であった。 佐屋宿設置以前は、桑名への水路は一定に定められてはいなかった。桑名とつながる川船の水路は、佐屋本陣・加藤家の覚書『あらい旧記』によると「往還多くは、津島ゟ船に乗、桑名江之往来有之由、其外佐屋・立田辺ゟも桑名江渡海之往来も有之、未夕佐屋宿に定なきゆへ、所々より往還越し有ると見へたり」とあった。 津島は、湊として佐屋より古く、平安末期には、天王川と佐屋川を経て桑名へとつながっていた。しかし、津島湊は、佐屋に比べ桑名までの水路が一里ほど長かったこと、河川の土砂堆積により浅くなっていたことから、尾張藩は、寛文6年(1666年)に津島湊を廃止し、延宝7年(1679年)には、津島の本陣を閉鎖した。 佐屋は、宿駅設置前にも渡船場であり、寛永11年(1634年)、佐屋宿と万場宿が設置され、元禄14年(1701年)『尾張国絵図』に、桑名と佐屋の水路は「佐屋ヨリ伊勢国桑名への船路三里」と説明されている。
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