三里の渡しとは? わかりやすく解説

三里の渡し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 06:02 UTC 版)

三里の渡し(さんりのわたし)は、東海道脇往還佐屋路佐屋宿愛知県愛西市)と桑名宿三重県桑名市)を結んでいた渡しで、かつての官道。「佐屋の渡し」とも呼ばれた。


注釈

  1. ^ 佐屋本陣・加藤家の覚書『あらい旧記』、佐屋町役場(1976)、『佐屋町史・史料編(一)』15頁。所収。(梶川(1984)、38頁。)。
  2. ^ 佐屋町史編集委員会編「史料1-16」『佐屋町史』史料編、佐屋町史編纂委員会 所収。(林(2008)13頁)。
  3. ^ 佐屋町史編集委員会編『佐屋町史』史料編、佐屋町史編纂委員会、542頁。所収。(林(2008)13頁)。
  4. ^ 佐屋町史編集委員会編『佐屋町史』史料編、佐屋町史編纂委員会、542頁。所収。(林(2008)13頁)

出典

  1. ^ a b c d 梶川(1984)、38頁。
  2. ^ 梶川(1984)、39頁。
  3. ^ 梶川(1984)、38-39頁。
  4. ^ a b c 林(2008)、13頁。
  5. ^ 池田誠一. “名古屋の古道・街道【24】国道 東海道...日之出橋から河合小橋へ (PDF)”. 一般社団法人 日本電気協会 中部支部. 2022年3月13日閲覧。


「三里の渡し」の続きの解説一覧

三里の渡し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:14 UTC 版)

佐屋街道」の記事における「三里の渡し」の解説

「三里の渡し」も参照 三里の渡しは、佐屋宿から桑名宿まで川船による結ぶ、三里水路であった佐屋宿設置以前は、桑名への水路一定定められてはいなかった。桑名とつながる川船水路は、佐屋本陣加藤家覚書『あらい旧記』によると「往還多くは、津島ゟ船に乗、桑名江往来有之由、其外佐屋立田辺ゟも桑名江渡海往来も有之、未夕佐屋宿に定なきゆへ、所々より往還越し有ると見へたり」とあった。 津島は、湊として佐屋より古く平安末期には、天王川佐屋川経て桑名へとつながっていた。しかし、津島湊は、佐屋比べ桑名までの水路一里ほど長かったこと、河川土砂堆積により浅くなっていたことから、尾張藩は、寛文6年1666年)に津島湊を廃止し延宝7年1679年)には、津島本陣閉鎖した佐屋は、宿駅設置前に渡船場であり、寛永11年1634年)、佐屋宿万場宿設置され元禄14年1701年)『尾張国絵図』に、桑名佐屋水路は「佐屋ヨリ伊勢国桑名への船路三里」と説明されている。

※この「三里の渡し」の解説は、「佐屋街道」の解説の一部です。
「三里の渡し」を含む「佐屋街道」の記事については、「佐屋街道」の概要を参照ください。

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