砂防会館建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 03:18 UTC 版)
砂防協会の永続発展のためには、維持の財源を会費だけに依存するのは危険であり、協会の独立自存のため、また砂防協会の総会などの行事が自前ででき、しかも会員の便宜のためには 独自の会館が必要であると考え、1950年(昭和25年)11月の臨時総会において、会費を拠出し、千代田区永田町に土地を購入する事を決めた。しかし、参議院から国会で使用したいとの要望があり、土地を国会に譲渡し、現在の千代田区平河町の土地になった。建築条件が著しく変わったため、設計を全面的にやり直し、あらためて入居者を募集する等、大変苦労したが、会員より早期会館建築の強い要望があり、建築資金を国の補助金や民間からの寄付金に頼らず、すべて会員の浄財により1955年(昭和30年)12月に会館建設の起工式を挙行し、1957年(昭和32年)8月に竣工式を行った。
※この「砂防会館建設」の解説は、「赤木正雄」の解説の一部です。
「砂防会館建設」を含む「赤木正雄」の記事については、「赤木正雄」の概要を参照ください。
- 砂防会館建設のページへのリンク