砂防会館と政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:17 UTC 版)
1957年に砂防会館が完成すると同時に自民党本部が2階と3階にテナントとして入居した。 1966年、永田町に自由民主会館が完成。同年4月、自民党本部が砂防会館から自由民主会館に移転すると、空いた2階、3階に中曽根康弘と田中角栄はそれぞれの派閥の事務所を構えた。田中の後援会「越山会」のほか、4階には中曽根の個人事務所もあった。 「砂防会館」「平河町」(砂防会館の所在地)の名は当時の田中やその派閥の代名詞であった。なお、ロッキード事件では、主な現金授受の場所と認定されている。1976年には、田中角栄を題材とした清水一行の小説『砂防会館3F』が発表されている。1976年の逮捕後、田中は個人事務所を隣のイトーピア平河町ビルに移すが、派閥事務所はそのまま残した。1983年12月の衆院選を経た後、田中派は最大の121人にふくれあがり、1984年4月には手狭になった派閥事務所を別館に移した。 かつては前述のように中曽根康弘の個人事務所(2009年限りで退去)、保守新党と国民新党の本部、亀井静香の事務所、減税日本東京事務所(2012年末に退去)も砂防会館内にあった。解体前まで本館2階には志帥会の事務所が、4階には古賀誠の事務所があった。 2016年3月17日、砂防会館解体前に志帥会(二階派)の派閥総会が開催された。二階派の顧問で衆議院議長を務めた伊吹文明は挨拶の中で「いくつかの政治のドラマがここで繰り広げられてきた。」と述べた。 現在では別館に、志帥会事務局や古賀誠・青木幹雄・森喜朗の個人事務所が入居している。
※この「砂防会館と政治」の解説は、「砂防会館」の解説の一部です。
「砂防会館と政治」を含む「砂防会館」の記事については、「砂防会館」の概要を参照ください。
- 砂防会館と政治のページへのリンク