かわい‐かんじろう〔かはゐクワンジラウ〕【河井寛次郎】
河井寬次郎
河井寛次郎
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河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している[2]。河井 寬次郎とも表記される[3]。
- ^ “河井寛次郎”. 物故者記事. 東京文化財研究所 (1967年). 2019年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月9日閲覧。
- ^ “作品のご紹介”. 河井寬次郎記念館. 2015年2月5日閲覧。
- ^ “コレクション 河井寬次郎”. 足立美術館. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 1903年より前は京都市陶磁器試験所。1919年、国立陶磁器試験所に移管(“輸出振興にかけた夢 「ジャパニーズ・デザインの挑戦」展”. asahi.com (2010年2月17日). 2011年3月8日閲覧。 および 佐藤一信「京都市陶磁器試験場の大正期の試作について」(PDF)『愛知県陶磁資料館研究紀要』第15号、2010年3月、43-54頁。)。
- ^ 佐藤(2019)、P.632
- ^ “男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋”. 松竹シネマクラシック. 2022年2月24日閲覧。
- 1 河井寛次郎とは
- 2 河井寛次郎の概要
- 3 民藝運動、日用の美へ
- 4 著書
- 5 関連項目
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