フランソワ・ヴィヨンとは? わかりやすく解説

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ビヨン【François Villon】

読み方:びよん

[1431ころ〜1463ころ]フランス詩人殺人窃盗などを犯し入獄放浪生涯を送る。悔恨恐れ揶揄(やゆ)と嘲笑祈り諦念込められ作品発表した。作「形見」「遺言詩集」など。


フランソワ・ヴィヨン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 05:28 UTC 版)

フランソワ・ヴィヨン

フランソワ・ヴィヨン(François Villon [fʁɑ̃swa vijɔ̃], 1431年? - 1463年以降)は、15世紀フランス詩人である。中世最大の詩人とも、最初の近代詩人ともいわれる。

人物

1431年パリ市内で生まれたとされる。父母とは幼少時に別れ(生別か死別かもはっきりしない)、親類であったギヨーム・ド・ヴィヨンという名の聖職者に引取られた。この時期から「ヴィヨン」の姓を名乗り始めた(当初の姓は「モンコルビエ」とも「デ・ロージュ」ともされるが、定かではない)。

ギヨームの援助もあってパリ大学に入学して同学を卒業したものの、在学時より売春婦ならず者といった輩と行動を共にしていた。1455年に乱闘騒ぎで司祭を殺してしまい、パリから逃亡してアンジュー近郊の窃盗団に加わる。その後再び罪を得て1461年オルレアンのマン・シュール・ロワール(Meung-sur-Loire)の牢獄に投獄されたが、恩赦により出獄。1462年、淫売宿で強盗・傷害事件を起こして投獄され、一時は絞首刑宣告を受けたが、10年間の追放刑に減刑されて1463年パリを追放された。その後のヴィヨンの消息に関する記録は一切無い。

なお、フランソワ・ラブレー作の「パンタグリュエル物語」ではヴィヨンがパリ追放後にポアトゥ(Poitou)へ移り、同地の修道院で隠退生活を送った様子が記されているものの、史実に基づくものではない。

評価

無頼・放浪の生涯であったが、近代的ともいえる詩作を残した。作品集として『形見の歌』(1456年)、『遺言詩集』(1461年)など。個別の詩では「Ballade des Dames du Temps Jadis」がヴィヨンの詩作の中でも特に名高い。

ヴィヨン作品

研究

  • ピエール・シャンピオン『フランソア・ヴィヨン 生涯とその時代』 佐藤輝夫訳、筑摩書房(上下)、1970‐71年
  • 佐藤輝夫『ヴィヨン詩研究』 中央公論社、増補版1972年
  • 鈴木信太郎 『詩人ヴィヨン』 岩波書店、新版1983年
  • 堀越孝一『わがヴィヨン』 小沢書店、1995年
    • 新版『放浪学生(ヴァガンテース)のヨーロッパ中世』 悠書館、2018年

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