ヴィヨンの妻
作者太宰治
収載図書昭和文学全集 第5巻
出版社小学館
刊行年月1986.12
収載図書太宰治全集 8
出版社筑摩書房
刊行年月1989.4
シリーズ名ちくま文庫
収載図書ちくま日本文学全集 004 太宰治
出版社筑摩書房
刊行年月1991.3
収載図書グッド・バイ
出版社角川書店
刊行年月1998.6
シリーズ名角川文庫クラシックス
収載図書富岳百景・走れメロス・ヴィヨンの妻・家庭の幸福・グッド・バイ
出版社三心堂出版社
刊行年月1998.10
シリーズ名大活字文芸選書
収載図書太宰治全集 10 小説
出版社筑摩書房
刊行年月1999.1
収載図書斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇
出版社文芸春秋
刊行年月2000.10
シリーズ名文春文庫
収載図書斜陽
出版社日本図書センター
刊行年月2002.3
シリーズ名太宰治文学館
収載図書走れメロス
出版社フロンティアニセン
刊行年月2005.3
シリーズ名第2刷 (フロンティア文庫)
収載図書走れメロス
出版社舵社
刊行年月2005.8
シリーズ名デカ文字文庫
収載図書大活字版 ザ・太宰治―全小説全二冊 上巻
出版社第三書館
刊行年月2006.10
ヴィヨンの妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 22:51 UTC 版)
性格が破綻した詩人や周囲の人々の生活を、詩人の妻の語りの文体で戯画化して描いた作品。家庭に安住することを厭いなからも、新しい家庭への夢を抱く二律背反の思いを文学へと昇華させた。
概要
初出 | 『展望』1947年3月号 |
---|---|
単行本 | 『ヴィヨンの妻』(筑摩書房、1947年8月5日)[1] |
執筆時期 | 1946年12月下旬~1947年1月15日頃[2] |
原稿用紙 | 57枚 |
第2章は太宰の口述を小山清が筆記したものである。残存する本作品の原稿はすべて太宰の筆跡になっているが、これはあとから書き直したものと推測される[2]。
あらすじ
詩人·大谷は外で飲み歩き何日も家に帰らないことが多く借金を重ね、その妻である「私」(さっちゃん)と幼い子供に貧乏暮らしをさせていた。
ある時、大谷は入り浸っている小料理屋の金を勝手に持ち出して店の主人や女将さんと悶着を起こす。翌日、何の当てもないまま私は小料理屋に出向き、金を返す用意が出来てすぐに届けられるはずなので、それまで店の手伝いをさせてもらいたいと申し出る。一方、逃げていた大谷はバーで豪遊していたところを問いただされ、その日の夜に小料理屋へ金を返しにくる。
私は、それからも大谷の他の借金を返すためだと言い小料理屋で働き続け、大谷は相変わらず店に顔を出し続けた。そして、私はいつしか幸せを感じるようになる。それとともに、店の客をはじめ世の中の人はみんな後ろ暗いものを抱えながら生きているのではないかという思いに至るのだった。
その後のある日、新聞紙上で大谷を「人非人」と評する記事があった。それを読んだ大谷は、小料理屋の金を盗んだのは本当は家族にいい正月を迎えさせるためのことだったと嘯き、私は人非人であってもなくてもただ生きていられればいいと応えた。
派生作品
映像
- 『ふたりは夫婦』(フジテレビ系列)の中で放送された。放送日は1974年12月23日[3]。
- 映画『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』が2009年10月に公開された。監督は根岸吉太郎。
朗読
備考
- 大谷が雑誌に書いた論文のテーマが15世紀のフランスの詩人フランソワ・ヴィヨン。放蕩詩人という点で大谷と共通することから、大谷の妻のことを「ヴィヨンの妻」に喩えたと類推され、これがタイトルの由来となっている。
- 太宰は1940年にヴィヨンの詩を引用した短編「乞食学生」を書いている。
脚注
- ^ 作品集『ヴィヨンの妻』の収録作品は以下のとおり。「トカトントン」「男女同権」「親友交歓」「メリイクリスマス」「父」「母」「ヴィヨンの妻」。
- ^ a b 『太宰治全集 第8巻』筑摩書房、1990年8月25日、426-427頁。解題(山内祥史)より。
- ^ ふたりは夫婦(第12回)ヴィヨンの妻 テレビドラマデータベース
- ^ 岩波書店 | 太宰治作品集 文芸カセット 日本近代文学シリーズ
- ^ 太宰治 伊武雅刀『ヴィヨンの妻』|新潮社
外部リンク
フジテレビ系 百万人の劇場 | ||
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