除名後の翼賛選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:11 UTC 版)
衆議院議員除名後には総選挙の延期などがなされた。そして、1942年(昭和17年)の総選挙では、当然、大政翼賛会の推薦はなく非推薦で選挙区の兵庫県5区(但馬選挙区)から立候補した。期間中軍部や翼壮を始めとする選挙妨害や内務省の選挙文書の差押を受けつつも有権者の多大な支持を得て、その結果最高点で、2位と7000票以上の大差で再当選を果たし、衆議院議員に返り咲く。 斎藤は再選に関して、次のように総括している。 今回私の選挙は全国民注目の焦点であったが、ここに至りて第七十五議会の私に対する処分は国民の判決によりて根抵より覆えされ、衆議院の無能と非立憲とを暴露すると同時に、私の政治生涯にとりてそれは永く忘るべからざる記念塔である なお、投票結果は 第21回衆議院議員総選挙(但馬選挙区)当落得票数候補者翼賛政治体制協議会の推薦当選 19,753 斎藤隆夫 非推薦 〃 12,268 佐々井一晁 非推薦 〃 12,066 木崎為之 推薦 次点 11,290 若宮貞夫 非推薦 (他に推薦候補2名)で、但馬の選挙民は、斎藤をトップに押し上げただけでなく、多数が非推薦候補に投票し、全国で非推薦候補の当選は85人にもかかわらず、2人選出、もう少しで当選者が定数3人全て非推薦候補となるところだった。
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