田尻生五
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田尻 生五(たじり せいご、1887年(明治20年)7月5日[1] - 1944年(昭和19年)7月21日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、鉄道政務次官。商工官僚。
経歴
福岡県山門郡大和村(現在の柳川市)出身[3]。1914年(大正3年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[4]。1916年(大正5年)、朝鮮総督府試補となり、事務官、全羅北道財務部長を歴任した[3][4]。1921年(大正10年)、官営八幡製鉄所に転じ、参事、労務部長、理事を歴任した[4]。
1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回、第20回でも再選を果たした。その間、第1次近衛内閣で鉄道政務次官を務めた。
1939年(昭和14年)、官営製鉄所の後身である日本製鐵の取締役となった[4]。翌年には議員を辞して、日本製鐵広畑製鐵所所長に就任した[4]。1943年(昭和18年)からは北支那製鉄株式会社社長を務めた[5]。
親族
- 西山茂 - 姉の夫。唐津市長。
- 佐々部晩穂-実兄。松坂屋(現J.フロント リテイリング・大丸松坂屋百貨店)・東海銀行・中部日本放送(CBC)の各会長を歴任後、晩年は名古屋商工会議所会頭を務めた。
- 川越秀治-甥。元大同メタル工業専務(創業家)
脚注
参考文献
- 田尻生五のページへのリンク