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山口忠五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 06:30 UTC 版)

山口忠五郎

山口 忠五郎(やまぐち ちゅうごろう、1882年明治15年)1月3日[1] - 1955年昭和30年)10月18日)は、日本の政治家衆議院議員(5期)。幼名・治作[2]

経歴

静岡県[3]志太郡西益津村藤枝町を経て現藤枝市大手)出身[2]。先代忠五郎の息子として生まれ、忠五郎を襲名した[2]西益津高等小学校、永井東陵の私塾育英学校で学んだ[2]

農業に従事し[3]、西益津村、同村会議員、志太郡会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、全国町村会会長を歴任し[3]1928年第16回衆議院議員総選挙で静岡1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して初当選。1930年第17回衆議院議員総選挙では落選。1932年第18回衆議院議員総選挙から4回連続当選した。1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)では非推薦で立候補して当選。戦後は日本進歩党の結成に加わるが[4]1946年第22回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。その後、公職追放となり[5]1951年に追放解除となった[6]

このほか帝国農会議員、藤枝合同運送、東洋遠洋漁業、静岡日産自動車販売などの各社長を歴任した[3]

養子は山口森三(西益津村長、のち初代藤枝市長)。

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、15頁。
  2. ^ a b c d 『静岡県歴史人物事典』487頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』676頁。
  4. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』508頁。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「静岡新報社社長、県軍協議長、翼賛支兼村」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、731頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『毎日新聞』1951年8月7日朝刊二面。

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。





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