鈴木與平_(6代目)とは? わかりやすく解説

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鈴木與平 (6代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 21:11 UTC 版)

鈴木與平
すずき よへい
生年月日 1883年2月5日
出生地 日本 静岡県有度郡上清水村
(現・静岡県静岡市清水区
没年月日 (1940-05-02) 1940年5月2日(57歳没)
出身校 東京高等商業学校専攻部卒業
(現・一橋大学
所属政党 研究会

在任期間 1939年9月29日 - 1940年5月2日

第25代 静岡県会議長
在任期間 1930年11月 - 1931年11月

清水市会議長

静岡県会議員
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鈴木 與平(すずき よへい、1883年明治16年)2月5日 - 1940年昭和15年)5月2日[1])は、明治から昭和にかけての日本実業家政治家鈴与創業者。清水市会議長、静岡県会議長、貴族院多額納税者議員等を歴任した。旧名山崎通太郎。

2021年現在、鈴与会長を務める鈴木与平は8代目で、孫にあたる(没後に誕生した為、面識はない)。

人物・経歴

静岡県有度郡上清水村(現静岡市清水区清水)で、沢野道太郎[2]出生。静岡県静岡中学校に学ぶ[2]。静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)に所属した[3]東京高等商業学校(現一橋大学)在学中に鈴木家の婿養子となる。1906年に同校専攻部を卒業。1917年に家督相続し第6代鈴木與平の名を継ぐ。

1919年から静岡県会議員となり、清水港の修築や日本軽金属等の誘致を実現。日本郵船や富士製茶での勤務を経て、家業の港湾運送業・鈴木與平商店を拡大し、多角経営化に成功。1929年、清水食品(SSK)を設立。翌年、日本で初めてツナ缶を製造、米国に輸出を開始。またミカン缶詰製造も開始した[4]。1936年に株式会社鈴与商店(現鈴与)を設立したほか、清水商工会議所、清水木材倉庫、駿遠塩業、清水運送、鈴与機械製作所、清水精機等を設立。清水市会議長、静岡県会議長、清水商工会議所会頭等を歴任したが、1940年に58歳で死去した[5][6][7][8]

1939年(昭和14年)静岡県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[9]研究会に所属して死去するまで在任した[1][10]

脚注

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』205頁。
  2. ^ a b 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 45頁。
  3. ^ 高校野球名門校シリーズ8 『静岡高校野球部 誇り高き文武両道 Since1896』84頁。
  4. ^ 清水食品株式会社 沿革
  5. ^ 「鈴木与平」日本人名大辞典+Plus
  6. ^ 「鈴木 与平(6代目)」日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
  7. ^ 「鈴木与平死去(58歳、㈱鈴与商店社長、貴族院議員)」東京朝日新聞1940年5月2日
  8. ^ 「静岡の産業をつくった人々⑦」静岡商工会議所
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。

参考文献

  • 清水市教育会編刊『六代鈴木与平伝』1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。





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