最初の空襲で外宮に被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 08:55 UTC 版)
「宇治山田空襲」の記事における「最初の空襲で外宮に被害」の解説
1945年(昭和20年)1月14日午後2時53分、宇治山田市にアメリカ軍のB-29が襲来し、宇治山田市で初めての空爆を行った。これは、三重県で最初の本格的な空襲であった。この空襲では1人が死亡、16人が負傷した。 推定8発の爆弾が投下され、常磐町の蓮随山果樹園や岩渕町の錦水橋北西詰に着弾した。外宮へは5か所6発の爆弾が投下され、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館で被害があった。その被害とは、軒先と戸障子の破損や板塀の倒壊、屋根に数か所の穴が開いた程度であり、軽微なものであった。これを神宮は「神異」と捉えた。ところが4時間半後のラジオでの大本営発表では「敵は数発の爆弾を豊受大神宮々域に投下、斎館二棟、神楽殿五棟崩壊せり」とされた。大本営発表を受けた翌1月15日の新聞は、「醜弾、伊勢の神域を汚す」、「米、鬼畜の本性を現す」と報道し、1月17日には大日本言論報国会の主催で「一億総憤激大会」が東京都の日比谷公会堂で開かれた。
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