最初の策定までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 09:00 UTC 版)
「防衛計画の大綱」の記事における「最初の策定までの経緯」の解説
当初、防衛計画の大綱は1957年(昭和32年)の国防の基本方針の制定と同時に策定されるはずだったが、当時の防衛をめぐる国論の分裂状況により放置され、代わりに防衛力整備計画が進められることとなった。 しかし、世論は、第2次防衛力整備計画で総額1兆1,635億円、第3次防衛力整備計画で2兆3,400億円、第4次防衛力整備計画で4兆6,300億円のペースで増加し続ける防衛費に不安感を抱き、自衛隊内部でも正面装備優先で後方装備の遅れを指摘する声が上がり、1972年(昭和47年)から始まった第4次防衛力整備計画では、オイルショックとインフレーションによる大不況の影響を受け、1976年(昭和51年)度予算時点での計画の未達成が確実であり、従来の防衛力整備計画では長期的見通しも立てられなくなっていた。
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