第2次防衛力整備計画とは? わかりやすく解説

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第2次防衛力整備計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 08:52 UTC 版)

第2次防衛力整備計画(だいにじぼうえいりょくせいびけいかく, 英語: Second Defense Build-up Plan[1])は、日本国自衛隊の軍備計画。略称は「二次防」または「2次防」。

本計画は1960年(昭和35年)の60年安保闘争の影響で決定が2年見送られ1961年(昭和36年)度は単年度予算となっている。

内容としては、陸上自衛隊の大幅改編や航空自衛隊の態勢強化や後に国会で問題となる三矢研究が研究されるなど、対ソビエト連邦中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国向けの防衛戦略が整備され、日本の防衛政策の結節点となった[2]

方針

1962年(昭和37年)度から1966年(昭和41年)度までの5年間を対象に、通常兵器による局地戦以下の侵略に有効に対処することを目的とした。本計画は、以下の方針に基づき立案された。

  1. 科学技術の進歩に即した精強な部隊建設
  2. 主要装備の近代化および損耗分の計画の更新、機動力の増強、後方支援態勢の強化とくに基地等後方支援施設の整備、概ね1ヶ月分の弾薬の備蓄など
  3. 誘導武器の進歩に即し、対空ミサイルの導入のほか、近代的装備の一部整備と部隊運用の研究
  4. 情報機能の整備充実、技術研究開発の推進、災害救援、公共事業など民政協力および騒音対策の重視

の整備を目標とした。前回の第1次防衛力整備計画と比較して総花的な内容となっている[3]

ただし、安保闘争による混乱やアメリカ合衆国ジョン・F・ケネディ政権の対外軍事援助の削減により、陸上自衛隊の師団制の部隊定員の内容などが下方修正され、優先すべき整備目標を挙げられた。

概要

本計画は1961年(昭和36年)7月18日第2次池田内閣閣議後の国防会議議員懇談会で決定された。本計画では所要経費は示されなかった。

当初予算総額は5年間で合計1兆5,472億一般会計予算の構成比では平均値8.34%。対GNP比は平均値0.948%[4]

整備目標

陸上自衛隊
海上自衛隊
航空自衛隊

上記計画を実施のため、防衛庁の各年度毎の予算は、その時々の社会・経済の状況を考慮してこれを決定し、随時再検討し必要に応じて修正する。

部隊の新編・改編

陸上自衛隊
海上自衛隊
航空自衛隊。

脚注

  1. ^ Chapter 2 - The New National Defense Program Guidelines (Defense of Japan 2011)〔平成23年版防衛白書 第2章 新防衛大綱〕” (PDF) (英語). 防衛省自衛隊. p. 142 (2011年). 2020年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月19日閲覧。
  2. ^ 黒川「近代日本の軍事戦略概史」P250
  3. ^ 廣瀬「官僚と軍人」P135
  4. ^ 草地「自衛隊史1984年度版 -日本防衛の歩みと進歩-」P227とP231

参考文献

  • 草地貞吾「自衛隊史1984年度版」(日本防衛調査協会、1984年)
  • 藤原彰「日本軍事史下巻 戦後篇」(社会批評社、2007年)
  • 黒川雄三「近代日本の軍事戦略慨史」(芙蓉書房出版、2003年)
  • 廣瀬克哉「官僚と軍人 -文民統制の限界」(岩波書房、1989年)

外部リンク


第2次防衛力整備計画

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航空自衛隊の歴史」の記事における「第2次防衛力整備計画」の解説

昭和36年度は単年度予算であったため、2次防は翌昭和37年度から始まる。この単年度間中1961年6月西部航空司令所が西部航空方面隊改編され当時日本国内カバーする3個航空方面隊態勢完成する。他には中央航空通信群の編成保安管制気象群の保安管制気象団への改編第2術科学校分校航空自衛隊第4術科学校への改編実施されている。 2次においては航空機1,000整備地対空ミサイル部隊整備陸上自衛隊所管であったMIM-3 ナイキ・エイジャックス・システムの移管自動警戒管制組織選定など大規模な事業目白押しであった。なお、ナイキミサイルに関して長沼分屯基地への配備をめぐり、後に長沼ナイキ基地訴訟起きている。 1962年10月管制教育団航空自衛隊第5術科学校改編され、5個ある術科学校幹部学校および幹部候補生学校合わせて術科教育本部の下に置かれることになる。また、同年3月22日には臨時F-104訓練隊編成され1963年3月5日航空自衛隊初のF-104J戦闘機装備第201飛行隊となっている。 1963年1月17日陸上自衛隊の第101高射大隊移管され、同大隊を基にして同年4月1日第1高射群習志野新編され、4月17日本部入間移駐する。1965年2月1日春日にて第2高射群新編地対空ミサイルによる迎撃態勢着実に整備されていった

※この「第2次防衛力整備計画」の解説は、「航空自衛隊の歴史」の解説の一部です。
「第2次防衛力整備計画」を含む「航空自衛隊の歴史」の記事については、「航空自衛隊の歴史」の概要を参照ください。

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