第4次防衛力整備計画とは? わかりやすく解説

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第4次防衛力整備計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 09:03 UTC 版)

第4次防衛力整備計画(だいよじぼうえいりょくせいびけいかく、英語: Fourth Defense Build-up Plan[1])は、日本国自衛隊の軍備計画。略称は「四次防」または「4次防」。

本計画の策定作業が行なわれていた時期は、沖縄返還日米安全保障条約の固定期間が切れるなどの影響があり、自由民主党内で「自主国防」論が目立ち始めた。この中の筆頭論者であった中曽根康弘1970年(昭和45年)1月、防衛庁長官に就任した。本計画は当初、中曽根の意向を強く反映したものとなる予定だった[2]

中曽根4次防

防衛庁長官に就任した中曽根は、前年夏ごろに事務局原案が完成していた防衛白書に修正を指示、「国防の基本方針」の改定など防衛政策の転換に意欲を示した。

中曽根の自主防衛論は日米安保の廃止を考えてはおらず、NATO的な防衛体制の構築を狙ったものであった。

1970年(昭和45年)9月訪米した中曽根長官は総額160億ドルの次期計画を検討中と演説で言明した。帰国後の10月には次期計画概要を発表した。1971年(昭和46年)4月に第4次防衛力整備計画概要が発表され、ここで最大総額5兆8,000億円の金額が注目された。これが完成すれば当時世界第12位であった防衛費が一挙に第6位程度まで飛躍することが確実な大計画であった。

大規模な本計画案は全日空機雫石衝突事故による自衛隊不信やドルショックによる経済不況にみまわれていた国民からの批判を免れず、1971年(昭和46年)12月に原案修正は不可避と判断した江﨑鐵磨長官は防衛関係閣僚協議で翌1972年3月まで決定を先送りすることとした。

こうして4次防の正式決定は年を越した。この状況下において中曽根原案で取り上げられていた主要装備が正式決定を待たずに予算に組み込まれる事となる。これに野党は反発し国会審議が停止した。政府は中曽根原案を白紙撤回し再度原案作成に取り掛かる。結局、初案の提示から1年半が経過して国防会議と閣議で4次防は成立を見る。

この1971年(昭和46年)は防衛庁長官が中曽根康弘、増原恵吉、西村直巳、江崎真澄と立て続けに4人も交代する異常事態であった。二重のニクソン・ショック(経済と対中政策の衝撃)の問題や全日空機雫石衝突事故による増原惠吉防衛庁長官と上田泰弘航空幕僚長の引責辞任、後任の西村直己は自衛隊の海外派遣を認める発言や中華人民共和国国際連合加入を問題視する発言や「国連は田舎の信用金庫」発言などが続き結局辞任する事態に至る。さらに1973年(昭和48年)には増原内奏問題で増原は再び防衛庁長官を辞任する。

方針

1971年(昭和46年)度から1976年(昭和51年)度までの5年間を対象に、通常兵器による局地戦以下の侵略に最も有効に対処することを目的とした。本計画は、以下の方針を目標に立案された。

一般方針は前回と概ね変わらず

  1. 陸・海・空自衛隊の内容の充実
  2. 精強な部隊建設、自衛隊員の士気高揚
  3. 技術開発の推進、装備の近代化と適切な国産化
  4. 周辺海域の防衛能力の整備
  5. 重要地域の防空能力の向上
  6. 各種機動力の向上

の整備を目標とし、さらに前回の第3次防衛力整備計画は「買い物計画」との批判[3] を踏まえ新たに

情勢判断
防衛の構想

が計画に追加された。この情勢の判断および防衛の構想では、「核の脅威に対しては米国の核抑止力に依存する」、「間接侵略と小規模直接侵略に対しては、独力で、それ以上は米国の協力を得て排除する」と日米両国の役割分担が明記された。

概要

本計画は1972年(昭和47年)2月8日国防会議第四次防衛力整備計画の大綱第3次佐藤内閣改造内閣閣議で決定。同年10月9日に計画の主要項目が第1次田中角榮内閣の閣議で決定された。

当初発表された原案の経費総額は5兆2,000億(ベースアップ分による人件費増加分を含めれば最大5兆8000億円)を見込んだ。

その後、諸々の騒動の末に修正案の経費総額は4兆6,000億円に縮小された。

しかし、実際の当初予算総額は5年間で合計5兆6,684億円。一般会計予算の構成比では5年間の平均値6.46%。対GNP比は5年間の平均値0.856%[4] となる。

なお、ドルショックや第4次中東戦争にともなうOPECによる原油価格引き上げを原因とするインフレーションと不況により、1976年(昭和51年)度予算では積み残し問題がでる事となる。

整備目標

陸上自衛隊
海上自衛隊
航空自衛隊

組織改編

陸上自衛隊
海上自衛隊
  • 2個航空隊の新編
  • 1個潜水隊の新編
  • 地方隊の2桁隊1個の廃止
航空自衛隊

脚注

  1. ^ Chapter 2 - The New National Defense Program Guidelines (Defense of Japan 2011)〔平成23年版防衛白書 第2章 新防衛大綱〕” (PDF) (英語). 防衛省自衛隊. p. 142 (2011年). 2020年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月19日閲覧。
  2. ^ 廣瀬「官僚と軍人」P137
  3. ^ 黒川「近代日本の軍事戦略概史」P251
  4. ^ 草地「自衛隊史1984年度版 -日本防衛の歩みと進歩-」P227とP231

参考文献

  • 草地貞吾『自衛隊史1984年度版』日本防衛調査協会、1984年
  • 藤原彰『日本軍事史下巻 戦後篇』社会批評社、2007年
  • 黒川雄三『近代日本の軍事戦略慨史』芙蓉書房出版、2003年
  • 廣瀬克哉『官僚と軍人 -文民統制の限界』岩波書房、1989年
  • 田村重信佐藤正久『教科書 日本の防衛政策』芙蓉書房出版、2008年

第4次防衛力整備計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 19:52 UTC 版)

航空自衛隊の歴史」の記事における「第4次防衛力整備計画」の解説

4次防の下では近代化推進輸送能力の向上などが図られた。1972年5月15日沖縄返還により防空領域拡大したため臨時那覇派遣隊編成され、翌1973年南西航空混成団新編され領域防衛担任する第一次オイルショック発生により原油価格高騰する昭和48年予算では航空自衛隊ジェット燃料代は約28キロリットル42億円でありこれは無事調達された。しかし、翌昭和49年度は約32キロリットルに対して90億円の費用確保されたが、前年比で1リットルあたり2倍近く暴騰している。さらに、航空自衛隊では燃料調達までタイムラグへの対応や有事備蓄確保する必要性から、年間予算燃料代を消費し切るわけに訳にはいかなかった。結果消費量抑制しなければならず1971年までは戦闘機パイロット年間平均飛行時間178時間維持されていたが、翌年以降漸減傾向突入し1974年は160時間1976年には150時間、そして1980年には140時間台まで減少している。これが160時間台まで回復するには1987年まで待たねばならなかった。これでもアメリカ空軍の約240時間NATO諸国平均約180時間には届かなかった。 1974年から第3次F-X選定開始される1975年6月F-1支援戦闘機初飛行開始1977年9月から部隊配備開始され、後に装備化される80式空対艦誘導弾組み合わせによりソ連軍上陸艦隊対す対艦攻撃能力飛躍的に向上する1976年9月6日ベレンコ中尉亡命事件発生するソ連防空軍MiG-25戦闘機突如進路変更し、領空侵犯備えた千歳基地のF-4EJ戦闘機スクランブル発進接触図ろうとした。しかし、F-4EJ戦闘機レーダー問題により対象発見できずMiG25戦闘機函館空港強行着陸する。これにより現地周辺ソ連軍奪還作戦備えて厳戒態勢をとった。事態米国の介入もあり武力攻撃を受ける事態には至らなかった。

※この「第4次防衛力整備計画」の解説は、「航空自衛隊の歴史」の解説の一部です。
「第4次防衛力整備計画」を含む「航空自衛隊の歴史」の記事については、「航空自衛隊の歴史」の概要を参照ください。

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