中曽根4次防とは? わかりやすく解説

中曽根4次防

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/06 20:48 UTC 版)

第4次防衛力整備計画」の記事における「中曽根4次防」の解説

防衛庁長官就任した中曽根は、前年夏ごろに事務局原案完成していた防衛白書修正指示、「国防基本方針」の改定など防衛政策転換意欲示した中曽根自主防衛論は日米安保廃止考えてはおらずNATO的な防衛体制構築狙ったものであった1970年9月訪米した中曽根長官総額160億ドル次期計画検討中演説言明した帰国後の10月には次期計画概要発表した1971年4月第4次防衛力整備計画概要発表され、ここで最大総額5兆8,000億円の金額注目された。これが完成すれば当時世界12であった防衛費一挙に第6位程度まで飛躍することが確実な大計であった大規模な計画案全日空機雫石衝突事故による自衛隊不信ドルショックによる経済不況みまわれていた国民からの批判免れず1971年12月原案修正不可避判断した江崎真澄長官防衛関係閣僚協議で翌1972年3月まで決定先送りすることとした。 こうして4次防の正式決定年を越した。この状況下において中曽根原案取り上げられていた主要装備正式決定待たず予算組み込まれる事となる。これに野党反発し国会審議停止した政府中曽根原案白紙撤回再度原案作成取り掛かる結局、初案の提示から1年半経過して国防会議閣議で4次防は成立を見る。 この1971年防衛庁長官中曽根康弘増原恵吉西村直巳江崎真澄立て続けに4人も交代する異常事態であった二重のニクソン・ショック経済対中政策衝撃)の問題全日空機雫石衝突事故による増原恵吉防衛庁長官上田泰弘航空幕僚長引責辞任後任西村直己自衛隊の海外派遣認め発言中華人民共和国国際連合加入問題視する発言や「国連田舎信用金庫発言など続き結局辞任する事態に至る。さらに1973年には増原内奏問題で増原は再び防衛庁長官を辞任する。

※この「中曽根4次防」の解説は、「第4次防衛力整備計画」の解説の一部です。
「中曽根4次防」を含む「第4次防衛力整備計画」の記事については、「第4次防衛力整備計画」の概要を参照ください。

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