軍事政策
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軍事政策(ぐんじせいさく Military policy)は、軍事目的を達成するための政策をいう。国防政策、防衛政策とも言う。
概要
軍事政策は狭義では、軍事行政において作戦行動に必要な軍事力の造成を目的とする政策を指すが、軍事目的を達成するための政治的な行動方針でもある。国防省の管轄にある事項であり、軍事活動における抑止・排除政策を包括する政策である。これは軍事戦略に基づき、安全保障政策や外交政策で規定される。軍事政策は仮想敵国を設定して諜報活動を行って軍事情報を収集し、その軍事力を分析し、これに対抗するための軍事計画を準備する。ただし軍事政策はしばしば外交政策と対立することがある。国益のための軍事的な行動は国際社会にとっては疑惑の対象となるからである。
軍事政策は、その国の地理的な特性や政治文化、国家理念や軍備などに基づいている。特に地理的な特性は軍事地理学的な影響が大きく、軍備の配置や作戦計画に関連する。さらに陸海空軍のどれを重視しているのかも国によって大きく異なっており、大陸国家は陸軍力を、海洋国家は海軍力を重点的に整備する場合もあるが、これは戦争の形態や国家戦略などによっても左右される。
関連項目
防衛政策
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防衛庁長官の坂田道太を信頼していた三木は、三木政権下での防衛政策の遂行を全面的に坂田の手に委ねた。坂田は1975年(昭和50年)3月の参議院予算委員会の席で、社会党の上田哲議員から、有事の際に日米間でシーレーン防衛に関する秘密の取り決めがあると追及された際、秘密協定の存在を否定した上で、文民統制下で日米の防衛協力についての話し合いを進める必要性を逆提起した。8月にアメリカのシュレシンジャー国防長官が来日して坂田長官と会談し、日米防衛協力について協議する日米防衛協力小委員会の設置が決まった。 坂田は防衛事務次官として久保卓也を起用した。久保は防衛庁防衛局長時代、基盤的防衛力構想を唱えていた。これは正面装備、補給体制などに加えて国民の国防意識、防衛関係の法令整備など、防衛体制の全体的なバランスを重視した平和時の防衛力構想であった。坂田長官のもとで久保は、防衛白書の刊行を再開し世論への働きかけを行うとともに、民間有識者による防衛庁長官の私的諮問機関である防衛を考える会を発足させた。防衛を考える会では防衛力整備に関する坂田長官宛ての提言を行い、この提言をもとに防衛計画の大綱が作成されることになった。 防衛計画の大綱では、これまでの年次防衛計画が脅威に対応する形で作られていたのに対し、日米安保条約によって日本の安全は基本的に米軍によって守られていることを踏まえ、自衛隊の任務は米軍の手がなかなか回らない小規模な侵攻への対応であるとし、日本の防衛力はこのような小規模な侵攻を抑止できる水準でよいとした。このような防衛計画の大綱が策定された背景には、当時、デタントが進み、東西の緊張が緩んでいたことと、オイルショック以来続いていた厳しい不況下で国の財政状況も厳しく、防衛予算の拡充が困難であったという事情があった。 1976年(昭和51年)10月、防衛計画の大綱が閣議決定され、11月には防衛費増額の歯止めとして防衛費対GNP1パーセント枠が閣議決定された。しかしこの防衛計画の大綱にはまもなく大きな問題が浮上する。まず防衛力整備の基準を日本に対する脅威に対応する形としないことについて自衛隊の制服組からの反発を招いた。そして大綱の前提となったデタントも、次第に米ソ間の緊張が再び高まるなど流動的になってきた。そして一番の問題は、予算や世論への配慮もあって、米国に依存した中で限定した防衛力整備を目指すという方針は、日米安全保障関係の重要性を更に増す結果となり、アメリカが日本に対して防衛力強化を求める格好の足がかりを提供することに繋がった。 防衛計画の大綱と防衛費対GNP1パーセント枠の閣議決定、とりわけ防衛費対GNP1パーセント枠の決定は反戦、平和の観点から三木政権の業績と評価する意見がある一方、日本が自分自身の手を縛る決定を行ったとして批判する意見がある。一方、防衛計画の大綱の決定は軍事大国を否定した防衛力整備構想の完成であるとともに、世論に自衛隊の存在の認知を進め、日米防衛協力体制の強化をもたらしたとして、中曽根内閣で行われた防衛費対GNP1パーセント枠撤廃などの軍拡への足がかりを築いたとの評価もある。 また、武器輸出三原則については「武器輸出を慎む」と表現を用いて「武器輸出の禁止」または「一切しない」という表現ではなかった。この「慎む」という表現には、国際紛争を助長させない場合は、「慎む必要がない」ということも含意されていた。
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