第1次防衛力整備計画とは? わかりやすく解説

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第1次防衛力整備計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 08:49 UTC 版)

第1次防衛力整備計画(だいいちじぼうえいりょくせいびけいかく、 英語: First Defense Build-up Plan[1])は、日本国自衛隊の軍備計画。略称は「一次防」または「1次防」。第二次世界大戦後初めての日本における長期軍備計画である。

前史

戦後日本における防衛計画を諮問する機関として1954年(昭和29年)の防衛庁設置法で防衛庁(現 防衛省)設置と同時に設置されることとなっていた国防会議が規定されていた。しかし、その構成員の問題で大幅に遅れ1956年(昭和32年)7月正式に発足する。これをうけて直ちに「国防の基本方針」が検討された。

国防の基本方針では、「直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行なわれるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」と規定された。

これを受けて日本の今後の国防政策は、国際連合を支持し、国際協調を基礎とするが、国際連合による安全保障体制が構築し実効性を持つまでは、日米安保体制に依拠する対外交政策と、民政安定による国防基盤を形成できる国内政策を基調に、漸進的に防衛力を整備するとした。しかし、自衛隊の具体的な役割や規定はなかった[2]

このため、具体的内容を規定する目的で1957年(昭和32年)6月に「防衛力整備目標について」が国防会議で決定され、第1次岸内閣閣議了承を経た。これが第一次防衛力整備計画(略称:一次防)となる。

方針

1958年(昭和33年)度から1960年(昭和35年)度までの3年間(一部は昭和37年度末まで対象)を対象に、骨幹防衛力の整備を目的とした。本計画は、以下の方針に基づき立案された。1957年(昭和32年)に国防会議の答申に基づいて、国防の基本方針は閣議決定された。

  1. 陸上自衛隊は180,000人、予備自衛官15,000人
  2. 海上自衛隊は艦艇約124,000トン
  3. 航空自衛隊は航空機約1,300機

の整備を目標とした。

特に陸上自衛隊は、在日米軍陸軍部隊の急速な縮小がなされており、その空白の補完を必要としており海空防衛力も含めての骨幹防衛力の整備、実態としては一応の体制を確立することが主眼として策定された。

概要

当初予算総額は3年間で合計4,614億一般会計予算の構成比では平均値約10.76%。対GNP比は平均値1.13%[3]

整備目標

陸上自衛隊
  • 昭和35年度末までに6個管区隊、4個混成団、定員180,000人の整備。
海上自衛隊
  • 昭和37年度末までに艦艇約124,000トン、航空機約200機の整備。
  • 対潜哨戒機などの航空機をアメリカ軍供与から国産化への転換を図る。
航空自衛隊

部隊の新編・改編

陸上自衛隊
海上自衛隊
航空自衛隊

脚注

  1. ^ Chapter 2 - The New National Defense Program Guidelines (Defense of Japan 2011)〔平成23年版防衛白書 第2章 新防衛大綱〕” (PDF) (英語). 防衛省自衛隊. p. 142 (2011年). 2020年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月19日閲覧。
  2. ^ 廣瀬「官僚と軍人」P131。一部分変更アリ
  3. ^ 草地「自衛隊史1984年度版 -日本防衛の歩みと進歩-」P231

参考文献

  • 草地貞吾「自衛隊史1984年度版」(日本防衛調査協会、1984年)
  • 藤原彰「日本軍事史下巻 戦後篇」(社会批評社、2007年)
  • 黒川雄三「近代日本の軍事戦略慨史」(芙蓉書房出版、2003年)
  • 廣瀬克哉「官僚と軍人 -文民統制の限界」(岩波書房、1989年)

外部リンク


第1次防衛力整備計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 19:52 UTC 版)

航空自衛隊の歴史」の記事における「第1次防衛力整備計画」の解説

1次防の下で航空自衛隊拡張する1957年8月1日府中基地にて航空集団(後の航空総隊)が編成される1957年9月2日千歳松島、矢の目、宇都宮入間川浜松小月美保防府築城板付管制分遣隊気象分遣隊新編され、続く10月21日三沢にて、12月20日新田原、翌1958年1月16日管制分遣隊新編8月1日に静浜、小牧および木更津管制分遣隊新編される。1959年6月1日に矢の目を除く全管制分遣隊管制隊に改編され、アメリカ空軍管理にあった日本全国網羅する航空管制態勢順次引き渡されている。1959年3月末までに航空総隊北部航空方面隊三沢)、中部航空方面隊入間)、西部航空指令所春日)の主要部隊始めとして、第1から第4までの航空団輸送航空団航空保安管制気象群、救難航空隊実験航空隊管制教育団など現在の航空自衛隊基盤となる部隊機関新編される。 この当時最初8年間だけで70名の殉職者出しており、大中規模航空事故件数昭和31年度で33件、昭和32年度は47件に及んでおり、1957年9月にこの状況重く見た第3航空幕僚長源田実空将飛行安全検閲実施し11月には航空幕僚監部内に監察官新設される。これ以降安全に関わる分野多く予算注ぎ込まれ物心両面において不備対策推進され航空事故件数減少していった。そして1958年3月ヘリコプター装備する臨時救難航空隊新編された。 1959年6月1日飛行教育集団新編され、第11から第17までの通し番号付き飛行教育団第1航空団および第4航空団集約され飛行教育部隊については一本化される。同年6月岐阜基地置かれていた整備学校分校航空自衛隊第3術科学校に、9月整備学校航空自衛隊第1術科学校に、通信学校航空自衛隊第2術科学校それぞれ改編される。 1959年百里基地ではF-104J戦闘機受け入れのために滑走路格納庫燃料施設など航空機受け入れ施設整備開始される1960年3月30日から翌31日まで初の航空総隊防空演習実施され航空機300機が参加する同年戦後初の国産ジェット航空機T-1練習機飛行開始される

※この「第1次防衛力整備計画」の解説は、「航空自衛隊の歴史」の解説の一部です。
「第1次防衛力整備計画」を含む「航空自衛隊の歴史」の記事については、「航空自衛隊の歴史」の概要を参照ください。

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