第4次遠征隊から第二次世界大戦前まで
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「エベレスト」の記事における「第4次遠征隊から第二次世界大戦前まで」の解説
1933年、イギリス第4次遠征隊。隊長ヒュー・ラットレッジ (Hugh Ruttledge)、隊員にはフランク・スマイス (Frank Smythe)、ジャック・ロングランド (Jack Longland)、パーシー・ウィン=ハリス (Percy Wyn-Harris)、レイモンド・グリーン (Raymond Greene)、ローレンス・ウェイジャー、エドワード・シェビア (Edward Shebbeare)、トム・ブロックルバンク (Tom Brocklebank)、1922年隊にも参加したコリン・クロフォード (Colin Crawford) らがおり、のちに遠征隊の隊長を務める歴戦の登山家エリック・シプトンもその中に含まれていた。この遠征では高度8570 mが最高で登頂はできなかったが、ウィン=ハリスが頂上近くでアーヴィンのものとされるアイス・アックスを発見したことで有名になる。同隊ははじめてエベレスト遠征にラジオを持参した。 なお、1933年4月3日、スコットランドの貴族、第14代ハミルトン公爵ダグラス・ダグラス=ハミルトンが操縦席がむき出しの複葉機(ウエストランド機)に乗り込み、エベレスト山頂の上を飛び越えるとともに史上初めてエベレストの空撮に成功した。 1934年、イギリスの奇人モーリス・ウィルソン (Maurice Wilson) が飛行機を山腹に不時着させ単独登頂をするという計画を立てたが、不許可となる。登山経験のないウィルソンは「霊的な助け」によって頂上にたどりつけると信じ、2人のシェルパを雇ってノース・コルのふもとまで上がったが行方不明になる。シェルパ2人は生還し、ウィルソンの失踪を報告した。 1935年、イギリス第5次遠征隊。登頂目的でなく、エリック・シプトンをリーダーにモンスーン時の気候を調査する目的で派遣された小規模のグループだった。ノース・コルのふもとでテントに包まれたモーリス・ウィルソンの遺体と日記を発見(日記には、登山経験のないウィルソンの失敗の経緯が綴られていた。遺体は近くのクレバスへ埋葬された)。隊には1938年隊の隊長になるビル・ティルマン (Bill Tilman) がいた。また、ニュージーランド出身のダン・ブライアントをシプトンが気に入ったことが、のちにエドモンド・ヒラリーが遠征隊に参加する道を開くことになる。有名なテンジン・ノルゲイが若手シェルパとしてエベレスト行に初参加した。 1936年、イギリス第6次遠征隊。1933年の失敗を批判されて以来、隊長就任を固辞していたラットレッジが適任者不在を理由で再び隊長に引っ張り出された。1924年隊のノエル・オデールも参加を打診されたが、年齢を理由に辞退している。エリック・シプトン、フランク・スマイス、ウィン=ハリス、チャールズ・ウォレン、ピーター・オリヴァーらが参加。日程の当初は雪も少なく天候にも恵まれて成果が期待されたが、直後に例年よりも早いモンスーンが到来したため、隊はほとんど何も成果を得られず帰国。「最低の遠征隊」と酷評されることになる。 1938年、イギリス第7次遠征隊。隊長はビル・ティルマン。再び小規模な遠征隊を組むことにし、隊員としてシプトン、スマイス、ウォレン、オリバーら経験者が選ばれた。古参のノエル・オデールも再び参加。天候の悪化のため登頂を断念し、遠征隊は帰還。
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