第4次遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 02:46 UTC 版)
614年、隋の煬帝は三たび高句麗に侵攻した。高句麗は度重なる戦争で疲弊していたため、楊玄感に内通し高句麗に亡命していた斛斯政を隋の将軍来護児に引き渡した。隋も国内が乱れていたため和議を結んだ。高句麗は和議の一つであった隋への朝貢を実行せず、これに隋は激怒し再度の遠征を計画したが国内の反乱のため実行することはできなかった。
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