第2次長嶋監督 - 堀内監督時代
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「読売ジャイアンツ」の記事における「第2次長嶋監督 - 堀内監督時代」の解説
1993年 - 2005年 長嶋茂雄監督復帰により、モデルチェンジ。プルオーバー式からボタン式に戻り、首元から胸にかけてのラケットラインが入り、ベルトループのラインが消える。また、ビジター用がグレー地に変更され、帽子も黒からミッドナイトブルー(濃紺)に変更される。1994年は球団創立60周年エンブレム、1995年・1997年は前年のリーグ優勝を記念したエンブレム、1996年はチームスローガン(チャレンジ)エンブレムをそれぞれ右袖に入れた。これらは全て、マスコットのジャビットをあしらったものである。 1997年 - 2001年頃、二軍のみ、コナミがスポンサーについたため、左袖の「YOMIURI」ロゴの上に、コナミのロゴが入ったワッペンがついた。 2001年、ホームゲーム3連戦の2日目に背部の選手名を外す「バックナンバーデーユニフォーム」を採用。 2002年 - 2004年 オープン戦や公式戦の試合前の練習用に限定したセカンドユニフォームをホーム、ビジター共に2004年まで使用。2003年から背部に選手名が入る。さらに2002年7月1日より、読売グループの組織変更に伴い、球団を運営する会社が株式会社よみうりから株式会社読売巨人軍に移行(詳細は後述参照。)したため、ビジター用の胸ロゴが「TOKYO」から「YOMIURI」に変わり、胸番号・背番号の書体がImpact体に変わる。 2004年、ビジター用の胸番号・背番号の書体が従来の物に戻る。 2005年、ビジター用の胸ロゴが「YOMIURI」から、帽子と同一のYGマークが左胸につき、胸番号は右腹部に移る。
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