第2次黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:45 UTC 版)
1979年、シーズン終盤にラウダが引退したことを受け、新加入のネルソン・ピケがエースに昇格する。またエンジンもアルファ・ロメオを諦め、フォード・コスワース・DFVエンジンに戻った。ピケは翌1980年のアメリカ西GPで初優勝を挙げると一気に才能を開花させ、ウィリアムズF1チームとチャンピオン争いを繰り広げた。この年はランキング2位に終わったが、翌1981年は新技術ハイドロニューマチック・サスペンションを搭載したグラウンド・エフェクト・カー BT49Cを駆り、ウィリアムズのカルロス・ロイテマンを破って初のドライバーズチャンピオンに輝いた。 1982年からは、BMWのターボエンジンの供給を受ける。この年は初期不良に苦しんだが、レース中に燃料給油・タイヤ交換を行うピット作戦をF1に持ち込んだ。1983年にはアロウシェイプを纏ったBT52をドライブしたピケがアラン・プロストを下して再びチャンピオンとなり、ブラバムで2度王座に着いた唯一のドライバーとなった。
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