1995年 - 1999年
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「平城・相楽ニュータウン」の記事における「1995年 - 1999年」の解説
1995年(平成7年) 2月8日 - ならやまパーク協議会が設立される。 2月18日 - 奈良交通木津川台住宅線の運行管理業務がエヌシーバスに委託される。 2月28日 - 高の原コミュニティスポーツ会館が竣工。 2月 - 高の原コミュニティスポーツ会館が開館。 3月 - 音如ヶ谷瓦窯跡が京都府登録史跡となる。 立て替え制度を利用し、住宅・都市整備公団から83億円を借り入れて小中学校、保育園、中央体育館、福祉会館を建設した木津町の返済が始まる。 4月 - 兜台集会所が開所。 6月22日 - ニッタならやま研究所が完成。 7月16日 - 奈良交通高の原平城山線、南陽高校線の運行管理業務がエヌシーバスに委託される。 1996年(平成8年) 4月3日 - 相楽交番の完成式が開催される。 4月 - 相楽交番が開所。 5月24日 - 高の原駅前団地に住む2世帯が、コーポラティブ住宅を企画。 6月 - コーポラティブ住宅の参加者を募集するビラが配布される。 7月10日 - 相楽台1号公園、相楽台2号公園、相楽台3号公園、兜台1号公園、兜台2号公園、兜台3号公園、音浄ヶ谷公園、石のカラト古墳緑地、曽根山小緑地の併用開始。 7月16日 - 石のカラト古墳が国の史跡に指定される。 8月3日 - コーポラティブ住宅の第1回説明会が開催され、9世帯が参加。 9月22日 - VANSにコーポラティブ住宅の設計・コーディネートが依頼される。 11月 - コーポラティブ住宅の企画・設計が始まる。 12月8日 - コーポラティブ住宅の建設地が奈良市朱雀に仮決定。 12月22日 - VANSがコーポラティブ住宅の第一次設計計画案を提出。 1997年(平成9年) 1月 - 万代高の原桜が丘店が開店。 2月16日 - 15世帯からなる「高の原コーポラティブ住宅建設準備会」(つなねの会)が設立。「会員が共同してコーポラティブ住宅を建設し居住することをめざし建設組合設立まで準備をすすめる」を目的とし、気楽に参加できるよう、脱会は自由でオブザーバー参加を積極的に受け入れ、会費は会合に出席した会員から会合に要した費用を徴収するといった組合規約が作成された。 5月11日 - 高の原コーポラティブ住宅建設準備会と住宅・都市整備公団が土地分譲について打ち合わせる。 5月20日 - フレンドリーショップ寿屋高の原店が開店。 平城プールを改修。 7月 - 建築家の延藤安弘やユーコート在住の平家直美によるコーポラティブ住宅についての講演会とパネルディスカッションが開催される。 1998年(平成10年) 1月6日 - 高の原コーポラティブ住宅建設準備会が住宅・都市整備公団に要望書を提出。 1月11日 - 13世帯からなる「つなねコーポラティブ住宅建設準備組合」が設立。高の原コーポラティブ住宅建設準備会とは違い、脱会を原則認めず、参加意思の確認と活動資金として入会金10万円を徴収。 3月 -「つなねコーポラティブ住宅建設準備組合」がコーポラティブ住宅の予定地としていた土地について、住宅・都市整備公団が「民間住宅事業者向け住宅分譲住宅制度」に基づいて土地を公募することを決定。これを受け、民間デベロッパーに代行を求める方針に変更するも引き受け手はなく、その後ゼネコンに打診することに。 第2団地万年青年クラブが発足。 5月5日 - コーポラティブ住宅の建設地を別の土地にする案が上がる。 8月9日 -「つなねコーポラティブ住宅建設組合」が結成。 9月20日 - 金山工務店がコーポラティブ住宅のデベロッパーと施工を受注。 9月 - コーポラティブ住宅の基本設計が終了。 10月12日 - コーポラティブ住宅の住戸の個別設計が始まる。 10月 - コーポラティブ住宅の実施設計が始まる。 11月15日 - つなねコーポラティブ住宅建設組合と金山工務店が覚書を締結。 12月1日 - コーポラティブ住宅に関して金山工務店と東洋信託銀行が信託方式について協議。 1999年(平成11年) 1月30日 - つなねコーポラティブ住宅建設組合が「つなねコーポラティブ住宅建設事業協定書」を金山工務店・VANSと締結。 3月29日 - つなねコーポラティブ住宅建設組合が事業費の10%を入金し、金山工務店の質権を設定。 3月30日 - 住宅・都市整備公団と金山工務店との間でつなねの土地譲渡契約が成立。 4月14日 - コーポラティブ住宅の実施設計が終了。 5月2日 - コーポラティブ住宅の設計監理委員会、環境材料委員会、生活ソフト委員会、植栽委員会、管理委員会がそれぞれ発足。設計監理委員会は建設設計や工事に関することを、環境材料委員会は環境や健康に優しい建築材料・建築設備の検討を、生活ソフト委員会は駐車場・駐輪場・集会所・中庭のあり方や必要数、洗濯物や布団の干し方、ペットの飼い方などを、植栽委員会は共用庭の計画や植栽などの外構を、管理委員会は竣工した後の管理規約などを担当した。 6月9日 - コーポラティブ住宅の地鎮祭が行われ、建設工事が着工。 6月 - コーポラティブ住宅の名前が「つなね」に決定。 6月13日 - つなねコーポラティブ住宅建設組合が金山工務店とマンションの売買契約書を締結。 6月16日 - 金山工務店と東洋信託銀行がコーポラティブ住宅の工事請負契約書を交わす。 6月21日 - つなねコーポラティブ住宅建設組合が質権を解除し、手付け保証金として金山工務店に事業費の20%を支払う。その後、東洋信託銀行が3度にわたり工事費を支払う。 10月30日 - 相楽浄化センターが廃止される。 11月23日 - つなねの上棟式が行われる。
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1995年 - 1999年
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「サブロー」の記事における「1995年 - 1999年」の解説
プロ1年目は6月に一軍初昇格すると、左翼手を務めていたピート・インカビリアの不振もあってスタメンの機会も与えられ、高卒1年目ながらシーズンを通して28試合に出場した。1996年は当時のロッテ外野陣の層の厚さもあって一軍で出場する機会は限られ、僅か9試合の出場に留まった。1997年からは背番号2を与えられ、プロ入り最多となる33試合に出場したものの、打率.179と低調に終わった。1998年は僅か2試合の出場に留まり、プロ入り初のシーズン無安打に終わった。1999年は一軍に定着して初めて100試合以上に出場し、プロ入り後当時の最高成績を残した。
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1995年 - 1999年
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「西城秀樹」の記事における「1995年 - 1999年」の解説
1995年1月17日に発生した、阪神大震災の被災者のために数度、兵庫県神戸市に足を運び、チャリティー募金も行なう。これが縁で神戸市民から「元気づけられたので是非」という要望があり、2年続けて『第46回NHK紅白歌合戦』で「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌うことになった。 1995年3月9日、東京都の渋谷公会堂にて39(Thank you)歳記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT 39』を開催。8月5日・6日、桑田佳祐からの電話でのオファーを受け、サザンオールスターズのコンサート『スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カリフォルニア』にゲスト出演。オープニングで2日間観客数16万人と「Y・M・C・A」を決行。 1996年7月3日 - 7月14日、ロックミュージカルの『D・LIVE Rock To The Future』に出演。シングル『round'n'round』で音楽番組出演時には、D・LIVEで結成されたMillennium Eve(Back-vo.杏子、gt.中山加奈子、Key.中村美紀、bs.仙波さとみ、ds.MITSUKO)をバックに歌った。1997年1月21日、25周年を記念して、デビューから現在までのヒストリー・ビデオ『HIDEKI SAIJO LIFE WORK 7 TREASURES』を発売。 1997年8月6日、X JAPANのYOSHIKIのプロデュースによるシングル『moment』を発売。 1998年4月から、NHK総合『青春のポップス』のレギュラー司会を務め(~2002年3月)、歌手としても幅広いジャンルの楽曲を歌唱した。 1999年2月7日、舞台『寺内貫太郎一家』に出演(新橋演舞場)。5月、人気ロボットアニメ・機動戦士ガンダムシリーズ『∀ガンダム』のテレビ主題歌「ターンAターン」を担当。11月17日、レコード会社をポリドールに移籍。第1弾シングルは『Bailamos〜Tonight we dance〜』(エンリケ・イグレシアスのカバー曲)。同年の第50回NHK紅白歌合戦 では、宝塚歌劇団月組をバックに同曲を歌う。
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1995年 - 1999年
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「週刊少年マガジン」の記事における「1995年 - 1999年」の解説
「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品のドラマ化・アニメ化といったメディアミックスが行われたことで、多くの読者を呼びこんだ。 また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE」「SAMURAI DEEPER KYO」「GetBackers-奪還屋-」などのファンタジー漫画・アクション漫画が立て続けにヒット。他には、「へなちょこ大作戦Z」「中華一番!」「脳みそプルン!」「Dreams」「蒼き神話マルス」「哲也-雀聖と呼ばれた男」など、まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。 第2次黄金期の過渡期である2000年1号時点の連載作品作品名作者原作者備考はじめの一歩 森川ジョージ TVアニメ化 カメレオン 加瀬あつし OVAアニメ化 シュート! 大島司 実写映画、TVアニメ化 BOYS BE… 玉越博幸 イタバシマサヒロ TVドラマ化 金田一少年の事件簿 さとうふみや 天樹征丸 TVドラマ、実写映画、TVアニメ化 将太の寿司 寺沢大介 実写ドラマ、TVアニメ化 Harlem Beat 西山優里子 新・コータローまかりとおる! 柔道編 蛭田達也 「コータローまかりとおる!」 時代に実写映画化 へなちょこ大作戦Z 西本英雄 脳みそプルン! 川口憲吾 サイコメトラーEIJI 朝基まさし 安童夕馬 TVドラマ化 Dreams 川三番地 七三太朗 GTO 藤沢とおる TVドラマ、実写映画、TVアニメ化 哲也-雀聖と呼ばれた男 星野泰視 さいふうめい TVアニメ化 ラブひな 赤松健 TVアニメ化 GetBackers-奪還屋- 綾峰欄人 青樹佑夜 TVアニメ化 SAMURAI DEEPER KYO 上条明峰 TVアニメ化 RAVE 真島ヒロ TVアニメ化 泣くようぐいす 木多康昭 釣りに行こうぜ!! 森一生 テルミ×テルミ×テルミ 岡田鯛 佐木飛朗斗 スノードルフィン 大石知哉 有森丈時
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