石のカラト古墳とは? わかりやすく解説

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石のカラト古墳

名称: 石のカラト古墳
ふりがな いしのからとこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 2県以上
市区町村 奈良市神功木津川市兜台
管理団体
指定年月日 1996.07.16(平成8.07.16)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-12-035[[石]いし]のカラト[[古墳]こふん].txt: 石のカラト古墳は、平城宮跡北方連なる奈良山丘陵位置し奈良県京都府にまたがる。この古墳墳形について、従来円墳とも方墳ともあるいは上円下方墳ともいわれていたが、昭和54年発掘調査上円下方墳であることが明らかとなった
 墳丘版築技法による2段築成で、第1段方形部は1辺13.8メートル第2段上円部は径9.2メートル、高さ2.9メートル規模有する葺石全面葺かれたらしいが、第2段はほとんど落下している。注目すべきは、遺存度の非常に良好な第1段葺石で、特に上面では第2段裾との境と4隅を結ぶ対角線上に水道設けた精密な葺き方がなされている。石室前面には幅3メートルの墓道が設けられ、ここで墓前祭祀に関連した考えられる礫敷や、石室石材運搬のためのコロ道板抜取痕跡検出された。墳丘下には、三条の礫を詰めた暗渠があり、いずれも墳丘外にのびている。墳丘周囲にも排水溝めぐらされ墳丘裾と排水溝の間はバラスとなっている。
 石室高松塚古墳同形の横口式石室で、墳丘中央位置し凝灰岩板石組合せ、南短辺部に入口開いている。石室内法寸法は、南北方向が2.6メートル東西方向が1.04メートル、高さ1.07メートルで、天井部は屋根型に10センチ刳りこんでいる。
 石室内は盗掘によって遺物はほとんどなかったが、金・銀製の玉各1、銀装唐様太刀責金具、金箔片、木心乾漆断片などのほか、墓道埋土から須恵器1点出土した
 本古墳は、墳形が上円下方というわが国では唯一の例であり、遺存度も良好である。また、構築技法外部施設内部主体副葬品などについても高い価値みとめられる構造出土遺物から本古墳は、7・8世紀の交頃に築造されたと推定でき、この時期貴人の墓としてきわめて重要なのである
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石のカラト古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:03 UTC 版)

石のカラト古墳

墳丘
別名 カザハヒ古墳(風灰古墳)
所在地 奈良県奈良市神功1丁目
京都府木津川市兜台2丁目
(神功一丁目緑地・石のカラト古墳緑地内)
位置 北緯34度43分25.72秒 東経135度46分42.77秒 / 北緯34.7238111度 東経135.7785472度 / 34.7238111; 135.7785472座標: 北緯34度43分25.72秒 東経135度46分42.77秒 / 北緯34.7238111度 東経135.7785472度 / 34.7238111; 135.7785472
形状 上円下方墳
規模 上段:直径9.2m
下段:一辺13.8m
埋葬施設 横口式石槨(内部に漆塗棺か)
出土品 金銀玉・銀装大刀金具・金箔片・漆片・須恵器
築造時期 8世紀初頭
史跡 国の史跡「石のカラト古墳」
地図
石のカラト
古墳
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石のカラト古墳(いしのからとこふん)は、奈良県奈良市神功・京都府木津川市兜台にある古墳。形状は上円下方墳。国の史跡に指定されている。別名カザハヒ古墳[1]

概要

奈良県北部・京都府南部、平城京北郊の平城山丘陵において、丘陵東斜面の棚状平坦地に築造された古墳である[2]。「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ることに由来するという[3]。これまでに盗掘に遭っているほか、1979年昭和54年)に発掘調査が実施されている[4]

墳丘は2段築成で[4]、版築による[5]。墳形は上段が円形で下段が方形の上円下方形で、上段は直径約9.2メートル・高さ約1.6メートル、下段は一辺約13.8メートル・高さ約1.2メートルを測る[3]。墳丘表面には川原石による葺石が認められる[4]。また墳丘周囲には暗渠・排水溝による排水施設が設けられている[4]。埋葬施設は横口式石槨(石棺式石室)で、南方に開口する。盗掘のため副葬品の多くは失われているが、調査では漆片(漆塗棺か)のほか金・銀玉などが検出されている[3]

この石のカラト古墳は、古墳時代終末期8世紀初頭頃[3]の築造と推定される。被葬者は明らかでないが、奈良時代に近い頃の貴族の墓と想定される点で重要視される古墳である[4]

古墳域は1996年平成8年)に国の史跡に指定された[6]。現在は復原整備のうえで公開されている。

遺跡歴

埋葬施設

埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方に開口する。石槨の規模は次の通り[4][2]

  • 長さ:2.6メートル
  • 幅:1.04メートル
  • 高さ:1.06メートル

石槨の構造は高松塚古墳明日香村)に類似する[4]。石槨は組合式で、凝灰岩の切石16枚(天井4・床4・側壁各3・奥壁1・扉石1)から構成される[4]。天井部は屋根形に刳り込まれている[4]

石槨内からは金製玉1・銀製玉1・銀装大刀金具類3・金箔片・黒漆断片が、墓道からは須恵器が検出されている[5]

文化財

国の史跡

  • 石のカラト古墳 - 1996年(平成8年)7月16日指定[6]

その他

江戸時代の「五ヶ村惣図」(享保9年(1724年))によると、大和国超昇寺郷と山城国相楽郡との間で山論が起きた際に、超昇寺郷が勝訴して相楽郡に舌状に張り出すこととなった。これが本古墳が奈良県と京都府にまたがることになった要因とされる。

脚注

  1. ^ 奈良市の古墳と埴輪窯”. 奈良市ホームページ. 2023年4月25日閲覧。
  2. ^ a b 石のカラト古墳(古墳) 1989.
  3. ^ a b c d e f 史跡説明板。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 石のカラト古墳(平凡社) 1981.
  5. ^ a b c 石のカラト古墳(国史).
  6. ^ a b c 石のカラト古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

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関連文献

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