石城山神籠石とは? わかりやすく解説

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石城山神籠石

名称: 石城山神籠石
ふりがな いわきさんこうごいし
種別 史跡
種別2:
都道府県 山口県
市区町村 光市石城・山
管理団体 光市(昭10・715)
指定年月日 1935.06.07(昭和10.06.07)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 石城山頂上ニ近キ部分ニアリ列石ハ山ノ周圍ヲ繞リテ配列サレ延長二十四町ニ及ヒ溪間ニハ石垣ヲ築キ中央水門ヲ存セリ山ハ防禦ニ適スルヲ以テ維新前奇兵隊根據地トナレリ
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石城山神籠石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 03:18 UTC 版)

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石城山神籠石(城)
山口県
石城山神籠石の東水門跡
城郭構造 古代山城(神籠石系山城)
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 不明
廃城年 不明
遺構 土塁・石塁・水門・城門跡
指定文化財 国の史跡「石城山神籠石」
再建造物 東水門復元石垣
位置 北緯33度59分14.8秒 東経132度2分26.5秒 / 北緯33.987444度 東経132.040694度 / 33.987444; 132.040694座標: 北緯33度59分14.8秒 東経132度2分26.5秒 / 北緯33.987444度 東経132.040694度 / 33.987444; 132.040694
地図
石城山
神籠石
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石城山神籠石(いわきさんこうごいし)は、山口県光市石城山[1]にあった古代山城神籠石系山城)[2]。城跡は、1935年昭和10年)6月7日、「石城山神籠石」の名称で国の史跡に指定されている[3]

概要

石城山の遠景
北門跡
北門の沓石

日本書紀などの史書に記載が無く築城主・築城年は不明だが、663年白村江の戦い新羅連合軍に大敗したことを契機に、7世紀後半に築かれたとされている[注 1][4][5][6]

標高362メートルの石城山の八合目付近を城壁が鉢巻状に廻っている。城壁の総延長は約2.6キロメートルで、石城山の五峰(高日ヶ峰・鶴ヶ峰・大峰・月ヶ峰・星ヶ峰)を取り囲み、標高268 - 342メートル付近にまたがり列石を配した土塁が廻る。東西南北に谷を横切る場所が4か所あり、石塁水門を設ける。城門は東門と北門の2か所が開く[7]

列石遺構は、石城山で切り出された縦70 cm×巾50-100 cm×厚さ40-60 cmほどの切石列石である[7]。発掘調査の頃は列石が露出した状況であるが、往時は土塁に埋没させていたことが判明している。列石は土塁の土留施設であるとされた[8]

土塁は高さ約8メートル前後、壁面は60 - 90度で立ち上がる[注 2]。斜面を削って基礎を固めて列石を並べ、前後を版築土で盛って立ち上げた内托式(ないたくしき)[注 3]版築土塁(はんちくどるい)[注 4]とされた[2]

北門に沓石(くついし)と呼ばれる門礎石があるが、片方は尾根に移されている。沓石にはコの字型のくり抜きがあり、瀬戸内地方の神籠石に共通する特徴である[注 5][7]

2004年平成16年)の集中豪雨で石垣の一部が崩落したが、2006年(平成18年)までに保存修理が行われた[9]。現存の遺構と区別するため、基底部は御影石を使用し、幅2.7 m×高さ1.8 mをイタビカズラの植生土嚢で覆い、上の列石は幅4 m×高さ2.1 mにわたり81個の石を布積みした[10]

神籠石を有する自治体が光市に参集し、2007年2月に「第1回 神籠石サミット」、同年10月に「第2回 神籠石サミット」が開催された。2008年2月、山頂広場に「神籠石サミット」の記念碑が設置された[11]

調査・研究

1909年明治42年)、西原為吉が石城山で遺構を発見して学会に紹介した。これに先立つ1898年(明治31年)に高良山の列石遺構が学会に紹介されて「神籠石」という名称が定着しており[注 6]、石城山の遺構は、1935年(昭和10年)に「石城山神籠石」の名称で国の史跡に指定された[2]

1963年 - 1964年(昭和38年 - 39年)にかけて、文化財保護委員会(現 文化庁)・山口県教育委員会・大和村教育委員会(現 光市)による発掘調査が実施された。この調査で「従来なおその性格を考える上に決定的な資料をもたなかった神籠石に対する学術調査であったが(中略)石城山神籠石は、土塁をめぐらした古代山城の遺跡であることは疑いのない」とされる[2]

2009年、第1回 神籠石サミットにあわせて「石城山神籠石 第一次・第二次調査概要書」が発行された[8]。これは1963年 - 1964年の発掘調査の概要が主であるが、現状の遺構の写真等も含まれている。一般に「神籠石」として知られてきた遺跡は、これを「古代山城」とする説と「古代霊域跡」とする説とが対立して論争が行われてきたが、この石城山神籠石とおつぼ山神籠石(佐賀県武雄市所在、国の史跡)の発掘調査は、神籠石論争を「山城」説に決定させた調査であったとされる[12]

現地情報

城跡は、「石城山県立自然公園」の指定地内に所在する[13]自然公園に加え、史跡公園の役割も担って、駐車場ほかの便益施設が整備されている。遊歩道に沿って歩めば城跡遺構を見学できる。最寄駅の山陽本線のJR岩田駅からタクシーで約20分、山陽自動車道熊毛インターチェンジから車で約30分である[14]

なお城域内には、国の重要文化財の本殿[15]を有する石城神社[13]や、長州藩の「石城山第二奇兵隊駐屯地跡」が所在する[13]

地図

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 『月刊 文化財 3/' 65』では、「今後の課題は、・・・年代観さらに各遺跡の編年的序列を確立することである。」と公表する。
  2. ^ 発掘調査の頃は浸食や発見時に列石が掘り出されて露出しており、土塁前面は極一部を除いて消滅状況であった。
  3. ^ 城壁背面の自然地形を活用し、斜面にもたせ掛けて築かれた城壁構造。
  4. ^ 土質の異なる積土を10センチメートルほどの単位で硬く締め固めた土塁。
  5. ^ 未完成のコの字型の門礎石は、讃岐城山城と播磨城山城に類例がある。そして、鬼ノ城の西門・南門・北門で施工事例が発掘された(向井一雄 2017, pp. 85–90)。
  6. ^ 歴史学会・考古学会における大論争があった(宮小路賀宏、亀田修一「神籠石論争」『論争・学説 日本の考古学』 6巻、雄山閣出版、1987年1月。ISBN 4-639-00627-6 

出典

  1. ^ 四国の島面積”. 電子国土基本図(地図情報). 国土地理院. 2012年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c d 文化財保護委員会 記念物課「石城山神籠石の発掘調査」『月刊 文化財』第18号、第一法規出版、1965年3月、9-12頁。 
  3. ^ 石城山神籠石 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 小野忠熈 編「石城山の神籠石式山城」『日本の古代遺跡』 30 山口、保育社、1986年7月、67-69頁。 ISBN 4-586-80030-5 .
  5. ^ 森公章『「白村江」以後 国家危機と東アジア外交』講談社〈講談社選書メチエ〉、1998年6月、158-173頁。 ISBN 4-06-258132-9 
  6. ^ 八木充「百済滅亡前後の戦乱と古代山城」『日本歴史』第722号、吉川弘文館、2008年、1-15頁、 CRID 1520572357318026880 
  7. ^ a b c 小野忠熙「石城山神籠石」『北九州瀬戸内の古代山城』名著出版〈日本城郭史研究叢書 10〉、1983年11月、212-235頁。全国書誌番号: 84013431 
  8. ^ a b 光市教育委員会 編『石城山神籠石 第一次・第二次調査概要書』光市、2007年、序文・7頁。 
  9. ^ 光市教育委員会 監修『史跡 「石城山神籠石」 保存修理事業報告』光市教育委員会、2006年。 
  10. ^ 「保存修復工事が工完/列石の背面に版築工法の跡を確認。」『瀬戸内タイムス』(夕刊)、2006年10月4日閲覧。
  11. ^ 「石城山を桜の名所に/神籠石サミット記念で植樹。」『日刊 新周南』、2008年2月19日閲覧。
  12. ^ 向井一雄 2017, pp. 36–46.
  13. ^ a b c 観光資源保護財団 編『石城山 朝鮮式山城の解明と保存』観光資源保護財団、1977年3月、5,8頁。全国書誌番号: 78002817 
  14. ^ 国指定史跡 石城山神籠石』(パンフレット)、光市教育委員会、2016年。
  15. ^ 石城神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

  • 文化庁文化財部 監修「月刊 文化財」631号(古代山城の世界)、第一法規、2016年4月。 
  • 小田富士雄 編『季刊 考古学』136号(特集 西日本の「天智紀」山城)、雄山閣、2016年7月。 ISBN 9784639024286 
  • 齋藤慎一、向井一雄『日本城郭史』吉川弘文館、2016年12月。 ISBN 978-4-642-08303-4 
  • 向井一雄『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2017年1月。 ISBN 978-4-642-05840-7 
  • 『日本書紀』 3巻、小島憲之 他 校注・訳、小学館〈新編日本古典文学全集 4〉、1998年6月。 ISBN 4-09-658004-X 
  • 西谷正 編『東アジア考古学辞典』東京堂出版、2007年5月。 ISBN 978-4-490-10712-8 

関連項目

外部リンク



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