雷山神籠石とは? わかりやすく解説

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雷山神籠石

名称: 雷山神籠石
ふりがな らいざんこうごいし
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 前原市大字雷山大字飯原
管理団体 前原市(昭7・531)
指定年月日 1932.03.25(昭和7.03.25)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 雷山山腹ニアリ盆地上下二ヶ所ニ水流ヲ狹ミ列石線状竝列ス其長サ水流ニ存スルモノハ約百三間下流ニ存スルモノハ約四十三間アリ列石大小形状高良山ニ同シ上流水門ハ既ニ破壞セラレ僅カニ其ノ跡ヲ認ムルニ過ギザルモ下流ニハ高サヲ異ニセル二箇ノ水門ニヨリテ流水排出調節スル構造等ヨリ保存セラル
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雷山神籠石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 15:51 UTC 版)

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雷山神籠石 / 雷山城
福岡県
雷山神籠石(雷山城)のある尾根(中央)
(左上の山塊に雷山山頂)
城郭構造 古代山城神籠石系山城
築城年 不明
廃城年 不明
遺構 水門・石塁・土塁
指定文化財 国の史跡「雷山神籠石」
位置 北緯33度30分0.16秒 東経130度13分6.49秒 / 北緯33.5000444度 東経130.2184694度 / 33.5000444; 130.2184694座標: 北緯33度30分0.16秒 東経130度13分6.49秒 / 北緯33.5000444度 東経130.2184694度 / 33.5000444; 130.2184694
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雷山神籠石(雷山城)
および周辺の古代山城の位置
緑色は文献記載城、青色は非記載城。
雷山城
位置の詳細地図

雷山神籠石(らいざんこうごいし)は、筑前国怡土郡雷山中腹(現在の福岡県糸島市雷山・飯原)にあった日本古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。

近年は「雷山城(らいざんじょう)」とも称される傾向にある[1][2][3][4]

概要

福岡県の西部、雷山(標高955メートル)の北側斜面中腹(標高400-480メートル)の棚状の谷に築城された古代山城である[5][6]。文献に記載が見えない古代山城(いわゆる神籠石系山城)の1つで、現在の山名を冠する城名は後世の命名による。城は南から北へ流れる谷の南側・北側を水門・列石でさえぎる形で構築されるが[7]、これまでに発掘調査は実施されていない[7][8]

城跡域は1932年昭和7年)に国の史跡に指定されている[9]

歴史

雷山城は文献上に記載のない城であるため、城名・築城時期・性格等は明らかでない[10]天智天皇2年(663年)の白村江の戦い頃の朝鮮半島での政治的緊張が高まった時期には、九州地方北部・瀬戸内地方近畿地方において古代山城の築城が見られており、雷山城もその1つに比定される。立地としては、雷山から北に突き出す尾根上に位置するため、糸島半島ひいては広く博多湾玄界灘を一望する場所になる[8][6]。現在では遺構は「筒城」とも称されるが、その所伝は詳らかでない[5]

なお糸島地方では、『続日本紀文武天皇3年(699年)12月条に見えるが所在不明の古代山城である「稲積城」について、可也山または火山に比定する説がある[11][12]。また奈良時代天平勝宝8歳(756年)-神護景雲2年(768年)には怡土城の築城が知られるが、その際には高祖山に選地されている。この怡土城の機能時期に、雷山神籠石が烽火として機能したとする説もある[11]

遺構

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
北水門(城外側)

城域は東西300メートル・南北700メートル[8][6]雷山の北側斜面を南から北へ流れる谷筋において、南北2ヶ所(間隔約730メートル)の谷部を城壁で遮る形で構築される。現在はその間にため池(不動池)がある。多くの古代山城では城壁が山頂を取り込む形で山を一周して巡らされるが、雷山城では城域に山頂を含まず、かつ城壁が1つの谷を2度横切る点が特色となる[13]。遺構の詳細は次の通り。

城壁
谷の南北2ヶ所を遮る形で構築される。2ヶ所とも川筋は石塁の水門とし、その水門の東西両側において、ハの字形に開きながら斜面を上る列石線が認められている[8]。列石線の全容は明らかでなく[13]、斜面を上ったあとの丘頂外側に想定される列石は未だ確認されていない[5]。これらの列石は土塁裾部の土留め石とされ、列石線は直線を1単位としてその直線が屈折しながら連続する「折構造」をとる[8]
北水門
谷の北側(下流側/排水口)、尾根先端部の崖面上に位置する( 北緯33度30分0.16秒 東経130度13分6.49秒 / 北緯33.5000444度 東経130.2184694度 / 33.5000444; 130.2184694 (北水門)[8]。石塁で、長さ12メートル・幅10メートル・高さ3メートルを測り、現在も良好に遺存する[8][6]。切石の布積によって構築され、底部に3ヶ所の水樋(暗渠)を設けて排水する[8]
南水門
谷の南側(上流側/入水口)、2渓谷の合流部に位置する( 北緯33度29分36.81秒 東経130度13分0.86秒 / 北緯33.4935583度 東経130.2169056度 / 33.4935583; 130.2169056 (南水門)[8]。現在は大きく崩壊しているが、2つの川筋に対して2種類の水門を設けたと推測される[8]。東側の川筋においては、北水門同様の石塁・水樋の形式とされる[8][6]。西側の川筋においては、土塁の基底部に暗渠を設ける形式であったとされるが(鹿毛馬神籠石などに類例)[8][6]、現在では上層の土塁は流失して暗渠部分のみが認められる[8]

そのほか、南水門付近において城門跡と推定される列石の切れ目が2ヶ所認められている[8][6]

文化財

国の史跡

  • 雷山神籠石 - 1932年(昭和7年)3月25日指定[9]

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:コミュニティバス(雷山線)で「雷山観音前」バス停下車(下車後徒歩約40分)[14]

関連施設

周辺

脚注

  1. ^ 『古代山城 鬼ノ城 -展示ガイド-』 総社市教育委員会、2012年、p. 20。
  2. ^ 齋藤慎一・向井一雄 「西日本の古代山城」『日本城郭史』 吉川弘文館、2016年、p. 45。
  3. ^ 『季刊考古学 第136号 -特集 西日本の「天智紀」山城-』 雄山閣、2016年、p. 14。
  4. ^ 向井一雄 『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン(歴史文化ライブラリー440)』 吉川弘文館、2017年、p. 11。
  5. ^ a b c 雷山神籠石(国史).
  6. ^ a b c d e f g 雷山神籠石(糸島市ホームページ、2009年11月1日更新版)。
  7. ^ a b 雷山神籠石(平凡社) 2004.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 新修志摩町史 上巻 2009, pp. 225–231.
  9. ^ a b 雷山神籠石 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  10. ^ 坂本繁俊『怡土志摩石ものがたり』梓書院、2013年6月21日、78頁。ISBN 978-4870354975 
  11. ^ a b 『国指定史跡怡土城跡(前原市文化財調査報告書 第94集)』 前原市教育委員会、2006年、p. 4。
  12. ^ 新修志摩町史 上巻 2009, pp. 231–234.
  13. ^ a b 雷山神籠石(ふくおか社会教育ネットワーク「福岡県の文化財」)。
  14. ^ 雷山神籠石(国指定史跡).

参考文献

関連項目

外部リンク



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