鬼ノ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 17:20 UTC 版)
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)に築かれた[1][2]、日本の古代山城(神籠石式山城)。廃城であるが、城壁や西門などが復元されている[1]。
注釈
- ^ 国内の古代山城では、排水溝を石垣の最下部に設けるのが一般的であり、鬼ノ城の水口のある水門は特異な事例である。
- ^ 角楼は、張り出した櫓で、西門と防御背面側の防御施設である。朝鮮半島では雉城(ちじょう)と呼称する。対馬の金田城と、讃岐国屋島に築かれた屋嶋城の浦生地区に類例がある。
- ^ 朝鮮半島の山城をルーツとする様式で、城門の入口に進入しにくい段差のある城壁を設け、普段は梯子・木段などで出入りし、戦闘時は撤去する城門で、防御性能を高める構造。屋嶋城と大野城 (筑前国)に類例がある。
- ^ 国内の古代山城では、大野城の大宰府口城門に類例があり、鬼ノ城の西門は二例目である。
- ^ 門道に埋設された排水溝の発掘は、国内の古代山城では初の事例である。その後、屋嶋城で二例目が発掘されている。
- ^ 交通路や城の進入路を塞ぐ塁状遺構は、「遮断城」と呼称されている。屋嶋城の浦生地区にも類例がある。
- ^ 坂出市の国の史跡「城山」まで約50km、高松市の国の史跡および天然記念物「屋島」まで約52kmである。
- ^ 歴史学会・考古学会における大論争があった(宮小路賀宏・亀田修一「神籠石論争」『論争・学説 日本の考古学』第6巻、雄山閣出版、1987年)。
- ^ 1995年(平成7年)、文化財保護法の指定基準の改正に伴い「神籠石」は削除され、「城跡」が追加された。
出典
- ^ a b c d わたしのふるさと便 岡山県【イチオシマップ】総社市など「温羅伝説の跡」壮大 奇想の鬼退治『毎日新聞』朝刊2024年5月26日(日曜くらぶ面)同日閲覧
- ^ a b c d 公益社団法人 岡山県観光連盟「岡山観光WEB」鬼城山(鬼ノ城) きのじょうざん(きのじょう)2024年5月26日閲覧
- ^ 鬼城山 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 森公章『「白村江」 国家危機と東アジア外交』(講談社選書メチエ、1998年)158-173頁
- ^ a b c d 岡山県古代吉備文化財センター編集/発行『ここまで分かった 鬼ノ城』(鬼ノ城発掘調査報告会、2013年)2-4・8-11頁。
- ^ a b c d 村上幸雄、乗岡実『鬼ノ城と大廻り小廻り』(吉備人出版、1999年)41-47頁
- ^ 田中哲雄「城の石垣と堀」『日本の美術』第403号(至文堂、1999年)20頁
- ^ a b 岡山理科大学 岡山学研究会『鬼ノ城と吉備津神社』(吉備人出版、2009年)26・51頁
- ^ 平井典子「鬼ノ城」『季刊 考古学』136号(雄山閣、2016年)91頁
- ^ 谷山雅彦『鬼ノ城』(同成社、2011年)161頁
- ^ 葛原克人 「鬼ノ城跡」『東アジア考古学辞典』(東京堂出版、2007年)132頁
- ^ a b c 村上幸雄「古代山城の魅力」『古代山城・鬼ノ城を歩く』(吉備人出版、2002年)10-22頁
- ^ 総社市教育委員会 編集/発行『古代山城 鬼ノ城 ー展示ガイドー』(2005年)27頁
- ^ 松尾洋平「古代山城 鬼ノ城―発掘調査成果から展望する―」『溝漊』第14号(古代山城研究会、2009年)49頁
- ^ a b 葛原克人「吉備の古代山城」『古代山城・鬼ノ城を歩く』(吉備人出版、2002年)148-152頁
- ^ 高橋護「鬼城山・築地山」『考古学ジャーナル』 NO.117(ニュー・サイエンス社、1976年)13-15頁
- ^ 坪井清足ほか『鬼ノ城』(鬼ノ城学術調査委員会、1980年)
- ^ 「鬼ノ城発掘/県教委と住民合意/来月から試掘調査着手」山陽新聞、1999年7月30日閲覧。
- ^ 村上幸雄「鬼ノ城」『古代文化』第61巻第4号(古代學協會、2010年)119頁
- ^ 亀田修一「古代山城は完成していたのか」/鞠智城シンポジウム2013(東京会場・大阪会場)『古代山城の成立と鞠智城』(熊本県教育委員会、2014年)41-43頁
- ^ 狩野久「西日本の古代山城が語るもの」『岩波講座 日本歴史』第21巻 月報21(岩波書店、2015年)1-4頁
- ^ 赤司善彦「古代山城研究の現状と課題」『月刊 文化財』 631号(第一法規、2016年)10-13頁
固有名詞の分類
- 鬼ノ城のページへのリンク