矢谷古墳とは? わかりやすく解説

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矢谷古墳

名称: 矢谷古墳
ふりがな やだにこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 広島県
市区町村 三次市東酒屋町
管理団体
指定年月日 1979.03.13(昭和54.03.13)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S53-12-035[[矢谷古墳]やたにこふん].txt: 矢谷古墳は、[[三次]みよし]盆地に東から流れ込む馬洗川南側発達した丘陵の上営まれ特殊な形態古墳である。三次工業団地造成伴って発見され昭和52年広島県教育委員会発掘調査したものである。
 本古墳は、四隅突出前方後方形というべき平面を示す。墳丘地山整形加工盛土によって構築され周囲墳形従った溝を掘り込んでいる。墳端に列石墳丘斜面に貼石状の葺石めぐらせている。前方部南西向けていて、主軸長18.5メートル前方部6.0メートル後方部長12.5メートル周溝含めた全長22.6メートル測る。隅の突出部分各々削り出し整形されている。東側墳丘裾部と周溝からは、丹塗り大形特殊器台・壺が多量に出土しまた、くびれ部では、これらの特殊な土器の他に、鼓形器台・高坏注口付壺等の古式土師器出土している。
 後方部の中央には、特に大きな方約4メートルの墓〓(*1)をもつ組合木棺とみられる主体部がまず設けられこのうち散布碧玉製管多数検出された。これに次いで周囲に箱式木棺5、割竹形木棺1、箱式石棺2、土〓(*1)墓2の計10例の埋葬が行われている。これらの中には刀子や〓(*2)等を出土したものがある。なお、中心埋葬上には、礫群、鼓形器台・注口付壺・低脚杯・特殊器台等の断片落ち込んでいた。
 次にこの古墳西側に、半ば崩壊した形で南北2基の方形周溝墓があり、各々1辺9.5メートル、6.9メートル測る北側周溝墓からは、組合木棺等の7基の埋葬認められ内部からガラス玉採集されたものもある。南の例では土〓(*2)1が確認されている。さらに古墳ののった丘陵の東斜面には、古墳時代須恵器焼いた窯跡1基が西向き築かれている。
 以上、矢谷古墳は特殊な墳形示し仲仙寺古墳群はじめとして山陰地方中心に発見されている四隅突出形の古墳との関連示しており、また、多数埋葬が行われている点等で古墳として特殊なものであるが、一方古式土師器出土前方後方形の平面大形墓〓(*2)をもつ後方中央の被葬者埋葬伴って形成されたものと考えられる点等、古墳としての一般性もある。本古墳は、強い地域性示していて、古墳時代の始まる頃の具体相として、地域社会をうかがう上で、また古墳形成される全国的な政治上の推移を知る一例として重要なものと考えられるので指定するのである
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矢谷墳丘墓

(矢谷古墳 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 14:25 UTC 版)

矢谷墳丘墓

復元墳丘
別名 矢谷弥生墳丘墓/矢谷古墳
所在地 広島県三次市東酒屋町字松ヶ迫
位置 北緯34度47分10.64秒 東経132度52分50.63秒 / 北緯34.7862889度 東経132.8807306度 / 34.7862889; 132.8807306座標: 北緯34度47分10.64秒 東経132度52分50.63秒 / 北緯34.7862889度 東経132.8807306度 / 34.7862889; 132.8807306
形状 四隅突出型墳丘墓
規模 墳丘長18.5m
高さ1.2m
埋葬施設 11基
出土品 玉類・鉄鉇・鉄刀子・特殊器台・特殊壺
築造時期 3世紀
史跡 国の史跡「矢谷古墳」
有形文化財 出土品(国の重要文化財
地図
矢谷墳丘墓
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矢谷墳丘墓(やだにふんきゅうぼ)は、広島県三次市東酒屋町にある弥生墳丘墓。形状は四隅突出型墳丘墓。国の史跡に指定され(指定名称は「矢谷古墳」)、出土品は国の重要文化財に指定されている。

矢谷古墳(やだにこふん)」とも称されるが、現在の考古学的には古墳ではなく弥生墳丘墓にあたるため、本項では「矢谷墳丘墓」の名称で解説する。

概要

復元墳丘オルソ画像

広島県北部、三次盆地南縁の低丘陵上に築造された墳丘墓である[1]。一帯には縄文時代から古墳時代にかけての松ヶ迫遺跡群(松ヶ迫矢谷遺跡)が分布し、本墳墓も同遺跡群に含まれる[1]1977-1979年昭和52-54年)の三次工業団地の造成工事の際に発見され、発掘調査が実施されている[2]

墳形は四隅突出形であるが、東辺にくびれ部があり、全体としては前方後方形のような形状をとる[2]。墳丘長は18.5メートル、高さは1.2メートル[2]。墳丘斜面には貼石が、墳丘裾には列石が巡らされるほか、墳丘周囲には幅2メートルの周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は土壙・木棺・石棺の計11基[2]。中心的な施設は墳丘北寄りの木棺と認められ、碧玉管玉・ガラス小玉などが検出されている[2]。そのほかの出土品として、周溝から出土した特殊器台・特殊壺があり、その土には吉備南部地方と同じものが使用されている[2]

築造時期は、弥生時代終末期から古墳時代初頭頃と推定される[2]四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心に日本海沿岸に分布する形式であるが、特殊器台・特殊壺は吉備南部地方を中心に分布する供献土器であり、本墳墓は三次地域を介した当時の山陰・山陽地方の交流を物語る墳墓になる[2]。なお墳丘西側には、方形区画墓2基および古墳時代の須恵器窯跡も認められている[2]。そのうち周溝墓から出土したガラス小玉にはナトロン(蒸発塩)が含まれており、古代ローマ帝国産として注目される[2][3]

墳墓域は1979年(昭和54年)に方形区画墓2基・須恵器窯跡と合わせて「矢谷古墳」として国の史跡に指定され[4]、出土品は1994年平成6年)に国の重要文化財に指定されている[5]

遺跡歴

文化財

重要文化財(国指定)

広島県立歴史民俗資料館展示。
出土品
広島県立歴史民俗資料館展示。
  • 広島県矢谷古墳出土品(考古資料) - 明細は以下。広島県立歴史民俗資料館保管。1994年(平成6年)6月28日指定[4][6]
    • 主体部出土
      • 玉類
        • 碧玉管玉 残欠共 5箇
        • ガラス小玉 3箇
      • 鉄鉇 1本
      • 鉄刀子残欠 2口
    • 周溝出土
      • 特殊壺 1箇
      • 特殊器台 残欠共 2箇分
    • 附 土器片 一括

国の史跡

  • 矢谷古墳 - 1979年(昭和54年)3月13日指定[5][7]

関連施設

脚注

  1. ^ a b 広島県の地名 1982.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 史跡説明板。
  3. ^ 奈良文化財研究所紀要 2013 2013, pp. 70–71.
  4. ^ a b c 広島県矢谷古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ a b c 矢谷古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 広島県矢谷古墳出土品(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。
  7. ^ 矢谷古墳(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 広島県埋蔵文化財調査センター 編『松ケ迫遺跡群発掘調査報告 -三次工業団地建設に伴う埋蔵文化財の発掘調査-』広島県教育委員会、1981年。 

外部リンク



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