1995年 - 2003年3月
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「兵庫エフエム放送」の記事における「1995年 - 2003年3月」の解説
しかし、1995年1月17日 5:46に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって、それまでの編成は一変し、その後の同局の経営にも大きな影響を与えることになった。 震災当日、朝5・6時台の放送は録音放送で、この放送は停止しなかった。生放送は朝7時からシーナ・ダスワニの『Waterfront delight』(ウォーターフロント・ディライト)を予定していたが、震災によって交通網が寸断され、本人がスタジオに到着できなかったため、7:00からディレクターによるアナウンス放送が行われた。 報道部を持たない同局は、当初通信社から送られて来るFAX原稿をもとに放送を続けていたが、10:00から放送する予定だったワイド番組『KOBE BRILLIANTDAYS』(コーベ・ブリリアントデイズ)のサウンドクルー・JOJO大谷がいち早く駆け付けた。彼は英語を話せるバイリンガルであったため、地震情報を英訳して放送したところ、居合わせていたスタッフから「英語でも地震情報を読もう」と提案。国際都市・神戸のFM局として、在日外国人のために各国の言語での災害情報や生活情報が放送された。当時のテレビ・ラジオで放送された震災関連の報道は犠牲者数や被害状況などを中心としたものであったが、炊き出しや浴場などのライフラインを中心とした「被災者が本当に必要とする情報」をリスナーから広く求め、被災者を勇気付ける音楽と共に送り続けて来た。 その後、「We Love KOBE」をキャッチフレーズに、神戸市出身の平松愛理が作曲した(作詞は淡路島出身の阿久悠)「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」をKiss HOTRAXXとして大数回オンエアしたり、キャンペーンCM「こころのキャッチ」などで被災者を元気づけた。さらにJOJO大谷とジェフリー・ジェムズがサウンドクルーを務めた『KOBE LOVE STORY』(コウベ・ラブ・ストーリー)、SHINGOの『Kissner's Chart Attack』(キスナーズ・チャート・アタック)など「キスナー」とのコミュニケーションを重視した番組が多数編成される様になる。この路線がコアなリスナーの支持を集めるようになる。2001年には当時放送中だった『SHINGO'S RADIO SHOW 〜花鳥風月〜』(シンゴズ・レディオ・ショー 〜かちょうふうげつ〜)がギャラクシー賞パーソナリティ部門を獲得した。このことはコミュニケーション重視路線の集大成とも言える。ギャラクシー賞の地方FM局での受賞は異例であったが、キスナーの支持がその背景にあった。しかし、このような求心力の高まりの反面、阪神・淡路大震災の影響は大きく、経営を圧迫した。また、実質的な親会社でもあったダイエーの経営危機が2002年頃から顕在化、それに代わる有力な支援企業も現れないまま、屋台骨を大きく揺さぶり続けたことが自社の編成をさらに大きく変える結果となった。
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