花鳥風月
花鳥風月とは、自然の美しさや風情を詠んだ四字熟語である。具体的には、花は春の美しさ、鳥は秋の哀愁、風は夏の涼しさ、月は冬の寂しさをそれぞれ象徴している。また、これらの自然現象を通じて人間の感情や心情を表現することも多い。花鳥風月は、日本の詩歌や絵画、庭園などの芸術作品に頻繁に見られ、日本人の自然観や美意識を反映している。また、現代では、四季折々の風景や自然の美しさを楽しむ心情を表す言葉としても用いられる。
花鳥風月
「花鳥風月」とは、自然の中の美しく風流な事物のこと、および、そのような美しい自然の風情を愛でる風雅な趣味や画題・句題のことを意味する表現。「四季折々の自然の風景や生き物に風情を見出す」という意味合いを含む表現。古来より和歌や日本画の主要な題材となってきた。
花鳥風月の語の由来・語源
花鳥風月という言葉は、「花・鳥・風・月」と4語に分けることもできるが、「花鳥」と「風月」の2語に分割することもできる。「花鳥」も「風月」も、美しい自然のことであり、それを鑑賞して愛でる、そして創作の題材にする、という意味合いで用いられることのある語である。花鳥風月という言葉は、遅くとも室町時代の頃まで遡る。とりわけ著名な人物・世阿弥の「風姿花伝」の中に「花鳥風月」の語が見出されることが知られている。むろん、「花鳥風月」と呼ばれたかどうかは定かでないにせよ、「自然を愛で詩歌に詠む」という美的価値観そのものは、室町以前の奈良・平安の世にも多く行われていた。
花鳥風月の語の使い方(用法)、例文
現代の一般的な文脈において「花鳥風月」という語に言及される機会は少ないが、文学的あるいは審美的な文脈で用いられることはある。美術史において作品を鑑賞・解説する場面では「花鳥風月を描いた作品」のような言い方はよく用いられる。定型的な言い回しとしては「花鳥風月を友とする(生き方)」のような表現が挙げられる。これは「(世俗を離れて)自然の中で、自然を愛しながら生きる」というような意味である。
花鳥風月の類語と使い分け方
花鳥風月の類語・類似表現としては、「自然の美」という意味では「春花秋月」や「雪月花」、「自然に対して風情を感じる」という意味では「風流韻事」「風光明媚」などが挙げられる。「春花秋月」は特に春と秋の対比が含まれており、「四季折々の自然の美」のニュアンスが強い。
花鳥風月の英語
花鳥風月を英語で表現する場合、一般的には beauties of nature(自然の美)という意訳的な表現が採用されることが多い。flowers, birds, ~と羅列しても花鳥風月の趣旨は伝わるまい。花鳥風月
「花鳥風月」とは・「花鳥風月」の意味
花鳥風月とは、「美しい自然の風景」という意味を持つ四字熟語で、年齢ごとに趣味が変わる様子に例えて「花を愛でるようになると老化のはじまりであり、月を愛でるようになると死期が近い」と解釈することもある。また、セカオワにも花鳥風月というタイトルの楽曲がある。花鳥風月とは、自然の中にある四季折々の草木の様子や山や川、海などの風景、生き物などの風情のことやこれらの自然の風景を題材とした詩や俳句、和歌などの創作活動の題材として趣を楽しむことを表している。花鳥風月を題材に詩や俳句を嗜むのは、日本の古来から伝統的に行われてきている。実際に平安時代末期から鎌倉時代初期に藤原定家が選んだ「小倉百人一首」に収録されている数々の秀歌にも花鳥風月を題材にしている和歌があることで知られている。
また、花鳥風月を年齢ごとに変化する趣味と解釈する人もいる。実際に、大物芸能人であるタモリがNHKテレビ「ブラタモリ」 内で、人間は老化をすると自然と花鳥風月が好きになるという花鳥風月論を語っている。人は初老になると最初は花を含む植物に対して興味を持つようになり愛ではじめる。今までは何気なく見ていた身近の花や植物がとても魅力的に見えてきたり、個人の庭に咲いている花やお店に飾られた一鉢の花を見て季節の移ろいを感じるようになる。植物の美しさや華やかさ、香りなどで気持ちが落ち着くのを感じ、年を追うごとに花の種類や開花時期、花言葉などにどんどん詳しくなっていく。そして、花が愛しい時期を超えると、今度は鳥にも興味を示し始める。例えば、通勤中や散歩の最中に何気なく見かけるスズメやハト、シジュウカラなどに可愛らしさと癒やしを感じたり、ツバメの巣作りやムクドリの様子を見て季節の到来を感じるなどが挙げられる。身近な鳥に対して愛情を感じ、大きさや鳴き声、飛び方などの違いに詳しくなり、庭に巣箱を置くこともある。
鳥を楽しむようになったあとには、風を楽しむことを覚える。日本の風は、四季によって変化する。春先の少し冷たい春一番、梅雨時期のジメジメとした湿気の多い風、晩秋から初冬にかけての木枯らしなど風から移ろいゆく季節を感じ、風情や趣を楽しむようになる。そして最後に、月を眺めることを楽しいと思うようになる。月見酒を楽しむ人も多いだろうが、最後の風と月は室内からでも十分に楽しむことができるものであることも特徴である。自宅でゆっくりと楽しんだり、病気や怪我などで寝たきりになっていても窓から入ってくる風や窓越しに見える月の様子を楽しむこともできる。月の満ち欠けの様子やわずかな月の色の変化、月の模様などにも興味を持ちはじめ、「キレイだな」「いいなぁ」と思うようになって来る頃に、そろそろあの世からのお迎えが来ることを感じだすというものである。
花鳥風月は、様々なアーティストが楽曲タイトルに採用したり、漫画やアニメ、ゲームなどのタイトルにも採用されている。日本の人気バンドであるSEKAI NO OWARIのメジャーデビューシングルに収録されている「INORI」の中にも「花鳥風月」というタイトルの楽曲が収録されており、ピアノ、キーボードを担当するSaoriが初めて作詞を手掛けたことで知られている。バンド活動が多忙になり、メンバー間での会話する時間が減ってしまったことによって感じた喪失感が表現されており、Saoriの不安や葛藤、ボーカルのFukaseを想う気持ちが歌詞の中に詰め込まれている。「花鳥風月」は、ボーカルのFukaseが作曲した美しいメロディーの中に、花や鳥、風、月などの自然の描写が散りばめられていることが特徴だ。特筆すべきは歌詞の中にある「月が綺麗だね」というフレーズである。かつて文豪夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗だね」と訳したことは有名だが、この訳を気に入ったSaoriがこの曲の歌詞に取り入れたそうだ。また、「花鳥風月」は、色々な楽器を鳴らしながらメロディーを形付けるという一風変わった作曲方法で制作されている。出来上がったメロディーが美しい和風テイストの曲調であったことから、このタイトル名がつけられたとされる。「花鳥風月」という楽曲名にふさわしい美しい曲調と切なく揺れる恋心が描かれた歌詞が心に染みる人は多く、SEKAI NO OWARIファン以外にも多くの音楽ファンに愛されている楽曲である。
「花鳥風月」の語源・由来
花鳥風月の由来は、室町時代世阿弥が書いた能の理論書「風姿花伝」である。花鳥風月という言葉は、室町時代に日本で誕生した言葉で、「風姿花伝」の中に登場しており、この中で、世阿弥は「上職の品々、花鳥風月のことわざ、いかにもいかにもこまかに似すべし。」という一文を書いている。この一文で書かれている花鳥風月は本来の意味とは異なり、上品な振る舞いを意味している。つまり、源平などの高位の方の立ち振舞いは、能にとって大切で細かく真似すると良いということだ。世阿弥は、将軍足利義満・足利義持の庇護下で能を大成した人物である。亡き父観阿弥の教えを基に能の修行法や心得、演技論、演出論などを学び、能で一世を風靡した。「風姿花伝」には芸道を極めた世阿弥の能の心得や人生の訓誡などが書かれている。「風姿花伝」は、日本最古の能楽論と演劇論が記載されている書物であり、現在に至るまで多くの人が親しみ、多大な影響を与えている。また、花鳥風月の語源は、貴族や武家が自然を鑑賞して、詩や歌を楽しむ遊びのことを花鳥風月と呼んでいたことと言われている。風雅な遊びという意味が転じて、自然の美しい景色を楽しむことという意味になったとされている。
「花鳥風月」の使い方・例文
・今回の一人旅では、北国独特の花鳥風月を楽しむことを目的としている。・今度、花鳥風月をテーマにした油絵を描こうと思って準備している。
・花鳥風月を愛でることがテーマのツアーがあったので参加してみたいと思う。
・自分は花鳥風月の花と鳥を愛でる気持ちはわかるが、風と月の良さについてはまだ良くわからないと感じている。
・タモリがテレビで言っていた花鳥風月論に共感して、思わず相槌を打ちながら聞いてしまった。
・自分は仕事に家事・育児にと毎日忙しく感じているので、花鳥風月を楽しむ余裕がまだ持てない。
・花鳥風月の本当の良さが分かるのは老いてからだというのでこれからの人生が楽しみだ。
・美術館に収蔵された作品の中から、花鳥風月をテーマにした特別展示が行われていると聞いたので、鑑賞しにいくことにした。
・喜多川歌麿や葛飾北斎の浮世絵や近代日本画家の速水御舟の作品には、細部まで見事に花鳥風月の美しさが表現されていたので圧倒された。
・SEKAI NO OWARIが発表している「花鳥風月」という楽曲を聞いたら、昔の自分の気持ちにリンクしてしまって思わず涙が出た。
花鳥風月は、目の前に広がっている美しい景色を味わって楽しむという意味で使うことが一般的だ。よく使われる言い回しとしては、花鳥風月を愛でる、花鳥風月を嗜む、花鳥風月を感じる、花鳥風月を楽しむなどがある。現代の日常生活の中で花鳥風月という四字熟語を用いて会話などをすることは少ないが、文学的な表現として用いられていることはある。また、美術品の鑑賞や解説をする場面で自然で美しさが際立った風景が描かれた作品のことを花鳥風月を描いていると表現することもある。単に美しい風景と表現するだけでも意味は伝わるのだが、文学作品や美術品などでは、花鳥風月の四字熟語を用いることによって、日本の四季の美しい自然の趣というイメージを強めることができる。
また、絵画や文学作品、楽曲などのテーマや作品名にも、花鳥風月が用いられていることがある。
花鳥風月
花鳥風月とは、花鳥風月の意味
花鳥風月とは、「美しい自然の景色」のこと。「美しい自然の景色」とは、山や川、花や木といった自然以外にも、虫や鳥などの動物も自然のものとして捉えた景色を表している。花鳥風月という言葉は日本で生まれた言葉であり、その昔、貴族や武家たちが自然の景色を詩歌にして楽しむ遊びであった「花鳥風月」が語源とされている。「花鳥風月」という遊びの大まかな意味である「自然の景色を表現して楽しむ遊び」から意味が転じて、現在の「美しい自然の景色」を表す言葉となった。花鳥風月の語の使い方
花鳥風月という言葉は、普段の生活において会話の中だけでなく、新聞やネットの記事でもあまり現れない言葉ではあるが、使い方や意味自体はそこまで難しい言葉ではない。むしろ、キャンプや登山など、自然に囲まれた中で活動を楽しむような機会では、その自然の美しさを一言で表現できる言葉となる。簡単な例文を挙げると、「登山に行って花鳥風月を楽しんだ」「キャンプを通じて花鳥風月に親しんだ」などの言い回しで、美しい自然の景色に出会えたことが簡潔に表現できる。また、自然に囲まれた場所ではなく、普段の生活の中であっても、花鳥風月を感じられる場所や機会は随所にあるはずなので、少し意識するだけでさまざまな場面で使える汎用性のある言葉でもある。花鳥風月の類義語
花鳥風月には、風光明媚や春花秋月、花鳥月露など、ほかにもいくつかの類義語が存在する。どれも大筋の意味は「美しい自然の景色」のため、使い方は同じで言い回しの違いだけのように思える。しかし、花鳥風月は語源からしても自然の美しさを表現したい場合、表現できる範囲が広いため、どのような場面に対しても使いやすい言葉ではあるが、ほかの類義語には、語源により使用に適した場面に違いがある。花鳥風月とその類義語との間には、実際にどのような違いがあるかについて、例として3つの類義語について解説していく。風光明媚は、風と光がつくりだす美しさを明瞭に見渡せる、といった意味を持ち、自然の美しい景色を表現する言葉である。花鳥風月との違いとしては、風や光といった奥行きが感じられる自然を捉えた言葉のため、風光明媚のほうが遠方の情景を表すような印象であり、山や海が美しいと表現する場合に適した言葉である。次に、春花秋月は、「春には花」「秋には月」といったように、日本の四季において、それぞれの季節における自然が美しい様子を示す四字熟語である。冬に雪と自然が織りなす美しさや、夏に山の木々の美しさを表したいときなど、その季節ならではの美しさを表現する場合に使いたい言葉である。さらに、花鳥月露は、花に鳥がとまる様子や、月夜に露が零れるさまなど、自然の様子の美しさを表す言葉である。木々が風にそよぐさまや、動物が自然の中で生活する様子など、動きのある美しい自然の景色を表現するにはぴったりの言葉である。
また、花鳥風月という言葉は、語源の意味に近い「美しい自然の景色を楽しむ」という意味もある。「花鳥風月を友とする」や「花鳥風月を愛でる」のような言い回しの場合は、こちらの意味合いでも通じる。こうした行為自体を表す意味はほかの類義語にはないため、花鳥風月をほかの類義語と区別できるひとつの要素となる。そのため、自然の景色が美しいことに加えて、それを楽しんでいることも合わせて表現したいときには、花鳥風月という言葉を使うことで非常に適切な表現ができる。
花鳥風月を英語に訳すと
花鳥風月を英語に訳すと「beauties of nature」となる。これを日本語に直訳し直すと「自然の美しさ」となり、自然を楽しむという意味合いまでは含んでいない。英語では1つ目の意味として解説した「美しい自然の景色」という意味で花鳥風月という言葉を捉えている。- かちょうふうげつのページへのリンク