巷談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:18 UTC 版)
関ヶ原の戦いで織田長孝(とその父の織田長益(有楽斎))は勝成を討ち取る功を挙げた。徳川家康の前での論功行賞の際、長孝が勝成を討ち取った際に使用した槍が披露されたが、家康家臣が誤って槍を取り落とし、家康は指を負傷した。家康は「この槍は尋常の槍ではない。作は村正であるか。」と聞き、有楽は「村正」の作であると答えた。退出した有楽は、近習から徳川家と村正の因縁を聞き、「内府(家康)の御味方である自分が村正を使うべきではない」と槍を微塵に砕いた。この話は、妖刀などと呼ばれ、徳川家に災いを成すと巷談で語られる村正伝説の数あるうちのひとつとなっている。 昭和10年(1935年)に書かれた橋本博の『大武鑑』によれば、戸田武蔵守は信長から「白キ天ツキ赤吹ヌキ」の朱旄を許されたとされ、卅六飛将の一人に数えられている。江戸時代の書物『総見公武鑑』に拠るものであるが、戸田の存命当時からそう呼ばれていたわけではなく、あくまで後世の勝手な創作である。
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