鎮魂の日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 09:19 UTC 版)
橋本と『伊58潜』はその後も作戦を続け、無事に終戦を迎えた。 戦後は第二復員省、復員庁勤務から公職追放を経て、川崎重工造船事業部に勤務。後に神職の資格を取り、梅宮大社の神職となる。1976年、兄で同社宮司順忠が亡くなった後、梅宮大社宮司となった。図らずも回天特攻隊員を運送する任を負っていたこと、回天搭乗員を出撃させ戦死させたこと、もっと早く哨戒海域に着いていれば広島と長崎への原爆投下を防げたのでは(テニアン島入港前の『インディアナポリス』を撃沈できたのではないか?)、インディアナポリス撃沈後に海上捜索していれば、捕虜から原爆存在の秘密が聞き出せたのではないか?と云う様々な自責の念から、太平洋戦争で亡くなった全ての御霊の鎮魂を祈る日々を送ったと云われる。 橋本はアメリカでの尋問中「日本兵の蛮行」について言及している。また生存中、1937年の南京事件時のことも、客観的に話をしていたという。現在防衛研究所戦史部には橋本の「橋本以行手記第2編 揚子江遡江作戦」が保存されているが、この史料は非公開である。 子息である橋本以裕は梅宮大社の宮司、そして孫の以光は梅宮大社の権宮司となり、毎年3月に回天記念碑で慰霊祭を執り行っている。
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