鎮静化の要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:54 UTC 版)
「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の記事における「鎮静化の要因」の解説
インフレーションの鎮静化以前は、帝国銀行券の発行が急増し、さらに貨幣の流通速度も異常に増大したが、それよりも速く紙幣の価値が減少していったため、ドイツ国内の取引に必要な通貨量を満たすことができず、その間隙を埋めるためにノートゲルトが大量発行されていた。レンテンマルク発行後も帝国銀行券(パピエルマルク)は回収されることなく並行使用されたので、レンテンマルク発行高の分通貨の流通量は増加することになったが、ノートゲルトの回収が指示されたこと、帝国銀行券だけでは国内取引需要を満たしていなかったことから、レンテンマルク発行は新たなインフレーションをもたらすことがなかった。 レンテンマルクはレンテン債券と兌換であるとされた。レンテン債券は土地債務証書を準備として発行されたもので、額面に対して年5パーセントの利子を得られるだけであり、発行から5年経過後に償還される。したがって実質的には何の物的資産に兌換されるわけでもなく、単なる擬制であり、レンテンマルクは不換紙幣と何ら変わりがない。しかし複雑な仕組みに民衆は幻惑されて、紙幣の発行に確実な基礎があると信じたという心理的な側面があり、レンテンマルクは民衆の信任を獲得して安定した。 またレンテンマルクは発行高を最大32億レンテンマルクに制限されていた。もし無制限に発行し、政府に貸し出すようなことを続ければ、レンテンマルクへの信頼もすぐに失われてしまうのは確実であった。実際ドイツ・レンテン銀行開業の翌月である1923年12月に、政府はドイツ・レンテン銀行に限度を超えた貸付をするように要求したが、銀行側がこの要求を断固拒絶した。これにより民衆からのレンテンマルクへの信頼が高まったという。 そしてレンテンマルクを用いた貸付に際しては、金計算を採用した。パピエルマルクの時に額面で貸し付けられた資金は、その後のインフレーションにより返済の際にはほとんど無価値な額になってしまい、借り受けた側が利益を得ることになっていた。そこで民間では貸し付けに際して、金地金または金兌換の外貨を基準として計算し、返済の際に貨幣価値減価分を補って返済しなければならないとすることで、インフレーションによる得失が生じることを防いでいた。帝国銀行も、レンテンマルク建てで貸し付ける際にはこの金計算を行うことにし、インフレーションで利益を得る目的で投機家がわざと貨幣価値減価を図る行為を防止した。 パピエルマルクは大量に輸出され、それによって海外市場での為替相場を崩し、インフレーションを招いて利益を得るという投機的行為が行われていた。しかし1923年11月16日、レンテンマルク、金公債及び価値安定緊急通貨に対する外国為替法規適用令 (Verordnung über Ausdehnung der Devisengesetzgebung auf Rentenmark, Goldanleihe und wertbeständige Notgelt) が制定され、レンテンマルクを輸出することを厳しく禁じた。これにより海外市場ではマルクが欠乏し、それ以上のマルク売りがなくなって、為替相場が安定した。 ドイツ政府は財務省証券を帝国銀行に割り引かせて紙幣を調達していたが、レンテンマルク発行と同時にそれ以上財務省証券を帝国銀行で割り引くことが禁止された。これによりパピエルマルクが乱発される原因もなくなった。 しかしこうした要因での通貨の安定は一時的なものであり、ドイツ政府の財政収支の均衡を回復し、特に賠償問題を解決しなければ、安定は継続できるものではなかった。このためレンテンマルク発行によるインフレーション鎮静化は、財務大臣のルターをして「家を建てるのに屋根から作るようなもの」と言わしめた。賠償が課せられドイツ財政にとって巨大な負担となる限り、再び通貨は安定を失うのは確実であった。そのため賠償委員会によって賠償問題を再検討し、1924年8月30日のロンドン協定すなわちドーズ案において毎年の賠償支払い額が3分の1に軽減され、財政の均衡と通貨の安定を阻害しないように支払いができるように考慮が払われたことで、最終的にドイツの通貨が安定した。
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